インフォメーション(日々更新中)

2021-01-19 00:45:00

単一性と多様性‼️

ひとを育てることが、年齢に関わらず、

そのひとの能力に応じた「専門分野」と、

様々な観点から見られる「多次元認知」が重要なことだといえます。

そのために「日々の流れ」においても、普段と同じことの中にある、

違った観点で見ることをしてみることは「多くの発見を生んだり」

「さらに効率の良さ」「また見逃していたこと」などが見えることでしょう。

うちの中でも「座る位置」などを変えることで、

見えていなかったことが見えるようになります。

また、「なぜ」という観点でものごとや情報を見ていれば、

「筋が通るか、通らないか」がわかります。

 

つまり、なんで国はこうなっているのか「おかしいでしょ」という疑問が出たら、

当然何かがあると思わねばなりません。

この点が日本人には弱いため、「筋や理由」を問わないで、

起こっていることの問題のみに集中して、大局が見えなくなるんです。

どうか、ひとを育てることを考えつつ、自らの見聞を広められますように。。

 

2021-01-18 03:41:00

スーパードライ‼️

仏教の本質は、相当な「ドライ」な論から成り立っています。

そこで論理性を身につけることが釈迦の覚醒ということになります。

「苦しむ自我」そのものは存在しない。

「自我執着」を取れば良い。

 

しかしそれだと社会的に生きるのに都合が悪い。。

しかし、お愛想と無我を駆使する智慧によって、苦はなくなる。

 

そして慈悲という観点から、人間と関われば良い。

 

しかし「この自己といういのち」が合わないと思う生命と無理に関わる必要はない。

 

世の中がどうなろうと、この根源は変わらない。

2021-01-16 19:43:00

仏教者においてすべきこと‼️(前の内容への加点)

「還浄」という表現をされることがありますが、これは本来「わたし」が「浄」から現れて「浄にかえる」という意味になります。

 

ここで「わたしという生命」と「わたしの心」を分離して、

「わたしは原子や素粒子から生まれている」という側面と、

「わたしはDNAによって思考や行動をしている」という側面のズレを考察する必要があるでしょう。

 

でなければ、親鸞さんのうえで、阿闍世は権化であるととらえる場合に、これは「事実ではない」という前提がなければ、「阿闍世の悪性」もすべて本覚である、真如からすべてが現れているという誤解が生まれて、結果「いまでも本願ぼこり」を生んでいます。

親◯会などはそういったことを悪徳企業に向けて説くことで財をなしてきています。

本覚思想がいう「基体から個体」(原子や素粒子からわたしという個体)が生まれているという側面が「差別やアクも本来真如」だとすることになります。

 

法話で「他人の悪性」を「如来さんがわたしの本性を見せてくれている」といったことを語るひとがいます。

「親鸞一人がため」を誤解して、「わたし個人の問題」だとして、以前の「信心の社会性」を問うことを、バカらしいというスタンスになります。(空華)

 

ここにズレを生むことと、そもそもの「縁起説」が十二縁起にあることを忘れていて、「これある故に彼あり」という「十二縁起説とセット」になった文言のこの部分だけを取り出して「縁起説」だとすると、「不善によって善あり」ということをいうことになるという、そもそもの十二縁起説を語らない縁起説が問題になります。

この点は「始覚思想」となります。

 

つまり「いのちは原子や素粒子から現れた」けれど「DNAにある情報がわたしをどう迷わせているか」ということを考察することによって、「無明の闇を破ること」が必要であるという側面が重要だと言えるでしょう。

 

DNA情報を、わたしのいのちにおいて、周辺のいのちを含めて「良き情報に書き換えること」(他利利他)が、「わたしがわたしのいのちにすべきこと」だといえるでしょう。

 

仏教はこの両側面を説いていると言えるでしょう❣️

2021-01-16 19:20:00

原子とDNA‼️

「還浄」という表現をされることがありますが、これは本来わたしが「浄」から現れて「浄にかえる」という意味になります。

 

ここで「わたしという生命」と「わたしの心」を分離して、

「わたしは原子や素粒子から生まれている」という側面と、

「わたしはDNAによって思考や行動をしている」という側面のズレを考察する必要があるでしょう。

 

でなければ、親鸞さんのうえで、阿闍世は権化であるととらえる場合に、これは「事実ではない」という前提がなければ、「阿闍世の悪性」もすべて本覚である、真如からすべてが現れているという誤解が生まれて結果「いまでも本願ぼこり」を生んでいます。

親◯会などはそういったことを悪徳企業に向けて説くことで財をなしてきています。

本覚思想がいう「基体から個体」(原子や素粒子からわたしという個体)が生まれているという側面が「差別やアクも本来真如」だとすることになります。

 

法話で「他人の悪性」を「如来さんがわたしの本性を見せてくれている」といったことを語るひとがいます。

「親鸞一人がため」を誤解して、「わたし個人の問題」だとして、以前の「信心の社会性」を問うことを、バカらしいというスタンスになります。(空華)

 

ここにズレを生むことと、そもそもの「縁起説」が十二縁起にあることを忘れていて、「これある故に彼あり」という「十二縁起説とセット」になった文言のこの部分だけを取り出して「縁起説」だとすると、「不善によって善あり」ということをいうことになるという、そもそもの十二縁起説を語らない縁起説が問題になります。

この点は「始覚思想」となります。

 

つまり「いのちは原子や素粒子から現れた」けれど「DNAにある情報がわたしをどう迷わせているか」ということを考察することによって、「無明の闇を破ること」が必要であるという側面が重要だと言えるでしょう。

 

仏教はこの両側面を説いていると言えるでしょう❣️

2021-01-16 05:11:00

コロナで本当に死んでいるのか?

【ある議員からの病床不足についての問いから】

 

コロナはインフルエンザだと思えば、

べつに帰宅してもらっていいんです。

 

cia官僚が作ったマニュアル通りして、

入院後に面会さえできない中で、

どういうプロセスで死んだのか?

を知ることができないことを「ガラス越し」にでも面会できて、

どんな治療をしているのか、なにもしていないのかが確認できたら、

いいんです。

 

もともと「骨折で入院しても院内感染で肺炎になって死ぬひと」

も多いのに、その数をカウントしていないから、

医師は「コロナで死んだ」といわずには居られない。

 

まず「地方自治体のチカラ」が国家よりも弱いから、

三密は不要ともいえない。

元を返せば「普通の風邪」がコロナウイルスだったのです。

 

だから、元コロナのように「風邪に分類されるライノウイルス」の場合には陽性にならない。

PCRは、コロナのRNAを誤認する。

 

「病床が足りない」というパニックにならず、

自宅で静養する方がよほどいいのに、

「クラスター」なんて、そもそも御用聞きドクターが

広めた概念でしかなく、「クラスターってなに?」と聞いても

よくわからない人が多い。。

 

だからこの一件に振り回されないことが最善なのですが、

とてもよく振り回されてくれるから、終結が遠のいていきます。

 

議員として、コロナ対応がどうなっているのか、

病院を周り、患者さんの扱いと国のガイドラインを見せてもらい持ち帰って、

英語や医学用語のわかる人に内容をチェックしてもらうのもいいでしょう。

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