インフォメーション(日々更新中)
2021-01-20 03:20:00
お金がなくても平気な理由❣️
わたしが「コロナ」で仕事がほぼゼロになって収入がなく、わずかの預金を崩して生きていても平気なのは、
「無常無我空性」の上から、生も死も人間界の錯覚であると認識していることや、自然になるようになれば良い。
とふつうに思えるからです。
仏教行者なら当然の心境です😊
2021-01-20 00:13:00
なにがそうさせるのか?
訳の分からない宗教か拝み屋さんにのめり込んでいるひとがいて、たぶんマインドコントロールを受けていて、数千万円の寄付をすでにしている。
そしてまた、その宗教に家族全員がのめり込んでいる。
この家族は中小企業を経営している。
だから狙われたのであろう。
けれど、さらに7000万円寄付をしなければならないようであるが、それには困っている。
しかし寄付をしなければならないと思っている。
なにがそうさせるのか?
ーー⁇
たぶんに「普段の様子や行動」について聞くと、
「ヤク切れ」のようである。
みなさん、知らないところで出される「飲食物」には注意が必要です。
なにが入っているかわからないのです。
日本の国家公安でも、はじめてのところで出たものは飲食しないといいます。
ーーー??の前の部分まで読まれて、「心の問題」をイメージされた方も多いことでしょう。
しかし、評判を聞いて行ったところで出されたお茶などを口にするのは危険です。
これだけコロナなどで経済不安などの多い中で「そういう類のなにもない」と思うのは危険です。
ウイルス以外にも気をつけるべきことは多くあります‼️
2021-01-19 01:01:00
水谷了義氏FBより❣️
ソーシャルディスタンスが提唱され、対面の部分にパーテーションや距離ができた。人数収容のキャパが減った。
「配信」という手法が一気に躍り出る。
1000人を目指してチャンネル登録を促す人や、やりたいようにする人など一種の社会現象がうまれる。
当初、海外や離れた人たちに久しぶりに見てもらるなど少し明るい話も出てくる。
しかし、生の空気感なんかが伝えられないというデメリットが発生。
次の問題点。
アーカイブを残すかどうか。
お金を取るか。
お気持ちをいただくか。
無料か。
それでもこの形しか今のところ思いつかないので配信を続けていく。
機械に疎い人は配信ができない。
配信のみ。
配信と動員有りとを混ぜる。
人間のみの昔ながらのスタイル。
の選択を迫られる。
いつしか、配信でアーカイブが残ってるから後で見るという発想が生まれる。
いつでも見られる存在になる。
「価値」が違うものに替わってきた気がします。
ライブハウスの話だと思いました?
「お寺」のことなんです。
でも、すごく似てますよね。
やれることをやるのは大事です。
やらないよりは良いです。
ちなみに私がお預かりしてるお寺は配信してないです。
なんか色々見落とし始めてる気がするんですよねー。
配信で見られるならわざわざ行く必要ないなっていう人が出てくるとか。
◯◯離れ、、加速させる要素、、はらんでますよね。
そもそも素人なんですよ。
お寺は番組作りの。
なら、お前やってみろよって言われそうですよね。
落ち着いたらやろうかな。
くそぅ。歯痒い。
2021-01-19 00:45:00
単一性と多様性‼️
ひとを育てることが、年齢に関わらず、
そのひとの能力に応じた「専門分野」と、
様々な観点から見られる「多次元認知」が重要なことだといえます。
そのために「日々の流れ」においても、普段と同じことの中にある、
違った観点で見ることをしてみることは「多くの発見を生んだり」
「さらに効率の良さ」「また見逃していたこと」などが見えることでしょう。
うちの中でも「座る位置」などを変えることで、
見えていなかったことが見えるようになります。
また、「なぜ」という観点でものごとや情報を見ていれば、
「筋が通るか、通らないか」がわかります。
つまり、なんで国はこうなっているのか「おかしいでしょ」という疑問が出たら、
当然何かがあると思わねばなりません。
この点が日本人には弱いため、「筋や理由」を問わないで、
起こっていることの問題のみに集中して、大局が見えなくなるんです。
どうか、ひとを育てることを考えつつ、自らの見聞を広められますように。。
2021-01-18 03:41:00
スーパードライ‼️
仏教の本質は、相当な「ドライ」な論から成り立っています。
そこで論理性を身につけることが釈迦の覚醒ということになります。
「苦しむ自我」そのものは存在しない。
「自我執着」を取れば良い。
しかしそれだと社会的に生きるのに都合が悪い。。
しかし、お愛想と無我を駆使する智慧によって、苦はなくなる。
そして慈悲という観点から、人間と関われば良い。
しかし「この自己といういのち」が合わないと思う生命と無理に関わる必要はない。
世の中がどうなろうと、この根源は変わらない。

