インフォメーション(日々更新中)

2021-12-27 00:26:00

善悪の境い目!

《相模原殺傷事件判決にとても興味があり、この様な善悪に関する質問をいくつか立てています。》 

世の中にはさまざまな「DNA」「背景、理由」「環境因子」「心理的要因」「洗脳(心理操作)」「対人的要因(信用してる人に騙されるなど)」「化学物質(麻薬など)」多くの要因があって、その中を生きている人間がなにをやってしまうかということについての原因は、いつの時も「要因の絡み合い」なので、決定的に善悪を問えないでしょう。とくに最近は麻薬の問題がありますが、オイルに麻薬を入れて「マッサージ」という名目で塗られてもわからないので、「知らないうちにそういう人にされるということ」もあるものです。しかし報道はいつの時も「部分」でしかありませんから、電車の中吊り広告のようなものです。私たちが善悪を見るときには、報道されない部分で考えられるだけの要因を考えて「じつはどうなのか」という検討が必要でしょう。コメンテーターは「盛り上げ役」でしかありません。そのために「多くの学習」が必要なことと、知らないところや怪しげなところでは「飲食や身体的接触を避けること」は重要な危機管理です。

2021-12-27 00:25:00

モテたい!

[こんなのんもいかがでしょう]

《どういう風にしたら女子にモテるのでしょうか?》

 

まずは、能力や実力で尊敬されるような人で、自分を向上させてくれると思われる。モテるモテないを気にしない。下ネタは言わない。表情にいやらしさがない。自分の目線が胸を見たりしない。突っ込まれても安定している。なんとかしてくれそうな力強さがある。他にも女性はいくらでもいると思っていると思ってもらう。清潔であるけれど、フェロモン香水をほんの微量だけつける…

 

などなどいろいろありますが、モテたいうちはムリかもしれません。

 

どうしたらモテるかという問いには、上記の要素がないからなのです。

2021-12-27 00:24:00

3分間裁判!

《「悪のような善」は成り立ちますか?また具体例はありますか?》

 

むかしの仁侠道はそうかもしれません。今の福祉のようなことを、昔風ではありますがやっていたと言えるのです。

 

いまでいう障害者さんを受け入れたり、用心棒はマジで厄介な人を追い払ってくれたりと、いまの警備会社以上に役に立っていたようです。

 

いずれにせよ、善悪の問題にご興味がありそうですが、善悪は相対的なものなので、「私が大金を寄付する」といったようなことでも、寄付した相手がなににどのように使うか、事実がわからない以上「善悪の定義はできない」でしょう!

 

戦争における敵への殺人すら「善」にもなりますし、ヒトラーが歴史で悪にされていても、戦国武将は悪には定義はされていないのです。

 

戦争で殺した人が悪なのか、命じた人が悪なのか…!?

 

私は刑務所に指導に行く立場(教誨師)でもありますが、時折、本来入るのはこの人ではなくて、この人を陥れたひとだと思うこともあるものです。刑事事件の裁判が、テレビドラマのようなものではなくて、3分ぐらいで終わるものが多いことを知っていたら、入らなかったという人もいます。

 

裁判で弁解の時間なんてなかったと知った時には有罪になっていたなんてよくあることです。

 

そういう点で、法律のもとの「善悪か?」「社会的善悪(迷惑程度)なのか?」「絶対的な定義を求めておられるのか」わかりませんが、ものごとや出来事は、状況の解釈次第であると言えるでしょう。

2021-12-26 01:48:00

希望を持って恐れるな!

ロスチャイルドの時代が終わり、新時代への転換が、金融を含めて来年にスタートします。

ゴールドマンサックス銀行がメインになるでしょう!

4月まで少し大変ですが、それを超えると大きなプレゼントが待っているということです!

みなさんご心配なく!

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Akio,

 

In 2022, we will SAVE AMERICA from the Radical Left.

 

Next year will be remembered as the year we SAVED AMERICA, but only if we WIN BIG during the 2022 Elections. I know you’re just as fired up as I am, which is why I want to give you a little something special.

以下略

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2021-12-26 01:44:00

偶像劇場!

台湾なんかでアイドルが演じるドラマなんかに「偶像劇場」って書かれていることがあります。

 

直訳すると「アイドルシアター」になりますが、つまりは、アイドルは作られた「偶像」なんですね。

 

そしてドラマのストーリーすらが、その偶像のなかで進んで行きますから、ストーリー含めて偶像なんです。

 

聖書は、「初めに言葉があった」からスタートしているので、初めに《神》があったということではないんです。

 

つまり聖書のストーリーは、偶像ではないということを明らかにしているんです。

 

仏教も本来「言葉で表現できない法則性」という「悟りそのもの」を真諦(しんたい)といって、それを教えるための「言葉(言説化)」を俗諦(ぞくたい)と言っているんです。

本来の仏教学にはそういう区分があるんです。

 

しかし、大乗仏教は「阿弥陀仏」などの偶像ストーリーを真実とする説き方をするので、結局真実ではない内容が広まって、偶像ストーリーの狭いなかで、救われたとか救われないとか、仏は存在するかしないか、なんて言ってるんです。

 

また「初期仏教」では認められなかった「常一主宰」というポイントも「阿弥陀一仏しか認めない」なんていうことをいう学派もあるので、仏教本来から遠ざかっています。

 

神が言葉として語られていることが聖書のスタートであることは、仏教も学ぶべき点かと思います。