インフォメーション(日々更新中)

2021-12-29 03:15:00

楽しいから!

何かのために生きるんじゃない、誰かのために生きるんじゃない、自分自身が楽しいと思うから生きるんだよ❗️

2021-12-27 00:27:00

自由意思!

《欧米の映画や創作で「自由意志対運命」がテーマにされがちなのは何故ですか?キリスト教的な世界観も関係しているのでしょうか?》

 

そもそも、民主主義の世の中で、自由意志というのがどこまで自由なのかと言うポイントが、この問いの中では明確になっていませんが、生まれる場所や親や環境やいろいろな事柄を選んで生まれているわけでもなく、世界中の可能性を検討して生き方を選んでいるわけでもなく、我々がいかに限定された中でしか物事を選択せず、また教育や常識や情報や周囲の観点に振り回されて自由だと錯覚をしていると言うことも多く見られることです。

 

このような中で、欧米などでは人間の限界を理解するために「人間が最終決裁者になってはならない」と言う前提があると思います。

人間は狭い範囲内でしか自由意志を持てず、しばしば過ちを犯します。

ですから、自分が考えていることなど、ほんの微々たる観点でしかないと言う前提のもと、神の意思を聞くと言う点において、自分の意思や出来事等についてどのような神的な理由があるかと考えるかと言う前提が、人間にとって重要であると言うことが大きな基本にあると考えられます。

 

民主主義において、多数が正解であると言えないことも、しばしばあると思います。

そういう中で自由意志=自らに由来する思考が本当に自らに由来しているのかと言うことを自覚しないまま、浅い思考をインスタントのように展開していると言う事だけではないのか、そういった自由と言うことが本当に自由なのかと言う検討がなされないまま多数で物事を決定しているということが大きな問題であると言わざるを得ません。

 

そういう中で、共通認識を根源とする聖書の世界観をもとに生きると言うことが、人間が最終決済をせず、共通認識における神を最終決裁者とすることが重要であると言う事が西洋の思考の根底にあると考えられます。

 

アメリカ大統領は、神が指名したと言う前提で聖書に言っておいて宣誓をするのです。

2021-12-27 00:26:00

善悪の境い目!

《相模原殺傷事件判決にとても興味があり、この様な善悪に関する質問をいくつか立てています。》 

世の中にはさまざまな「DNA」「背景、理由」「環境因子」「心理的要因」「洗脳(心理操作)」「対人的要因(信用してる人に騙されるなど)」「化学物質(麻薬など)」多くの要因があって、その中を生きている人間がなにをやってしまうかということについての原因は、いつの時も「要因の絡み合い」なので、決定的に善悪を問えないでしょう。とくに最近は麻薬の問題がありますが、オイルに麻薬を入れて「マッサージ」という名目で塗られてもわからないので、「知らないうちにそういう人にされるということ」もあるものです。しかし報道はいつの時も「部分」でしかありませんから、電車の中吊り広告のようなものです。私たちが善悪を見るときには、報道されない部分で考えられるだけの要因を考えて「じつはどうなのか」という検討が必要でしょう。コメンテーターは「盛り上げ役」でしかありません。そのために「多くの学習」が必要なことと、知らないところや怪しげなところでは「飲食や身体的接触を避けること」は重要な危機管理です。

2021-12-27 00:25:00

モテたい!

[こんなのんもいかがでしょう]

《どういう風にしたら女子にモテるのでしょうか?》

 

まずは、能力や実力で尊敬されるような人で、自分を向上させてくれると思われる。モテるモテないを気にしない。下ネタは言わない。表情にいやらしさがない。自分の目線が胸を見たりしない。突っ込まれても安定している。なんとかしてくれそうな力強さがある。他にも女性はいくらでもいると思っていると思ってもらう。清潔であるけれど、フェロモン香水をほんの微量だけつける…

 

などなどいろいろありますが、モテたいうちはムリかもしれません。

 

どうしたらモテるかという問いには、上記の要素がないからなのです。

2021-12-27 00:24:00

3分間裁判!

《「悪のような善」は成り立ちますか?また具体例はありますか?》

 

むかしの仁侠道はそうかもしれません。今の福祉のようなことを、昔風ではありますがやっていたと言えるのです。

 

いまでいう障害者さんを受け入れたり、用心棒はマジで厄介な人を追い払ってくれたりと、いまの警備会社以上に役に立っていたようです。

 

いずれにせよ、善悪の問題にご興味がありそうですが、善悪は相対的なものなので、「私が大金を寄付する」といったようなことでも、寄付した相手がなににどのように使うか、事実がわからない以上「善悪の定義はできない」でしょう!

 

戦争における敵への殺人すら「善」にもなりますし、ヒトラーが歴史で悪にされていても、戦国武将は悪には定義はされていないのです。

 

戦争で殺した人が悪なのか、命じた人が悪なのか…!?

 

私は刑務所に指導に行く立場(教誨師)でもありますが、時折、本来入るのはこの人ではなくて、この人を陥れたひとだと思うこともあるものです。刑事事件の裁判が、テレビドラマのようなものではなくて、3分ぐらいで終わるものが多いことを知っていたら、入らなかったという人もいます。

 

裁判で弁解の時間なんてなかったと知った時には有罪になっていたなんてよくあることです。

 

そういう点で、法律のもとの「善悪か?」「社会的善悪(迷惑程度)なのか?」「絶対的な定義を求めておられるのか」わかりませんが、ものごとや出来事は、状況の解釈次第であると言えるでしょう。