インフォメーション(日々更新中)
2021-12-17 03:14:00
サイコパス!
《サイコパスにはできなくて普通の人にはできることって何ですか?》
「サイコパス」について、「初めての遺伝子検査」によれば、
1993年、オランダのある家系の遺伝情報が公開されました。その家系の男性には、放火やレイプ、露出癖などの犯罪行動を起こす人が多くいたのですが、その男性たちには共通して、ある遺伝子の異常が見つかりました。
それがX染色体上にあるモノアミン酸化酵素A(MAOA)遺伝子、別名「戦士の遺伝子」です。MAOAは、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質を酸化させる作用を持つ酵素で、酸化された神経伝達物質は機能を失って、ニューロンの外に排出されます。先のオランダの家系において、犯罪行動を起こす男性全てで、このMAOA遺伝子が欠失変異していて、MAOAが機能していないことが分かりました。
なお、MAOA遺伝子には多型が存在していて、それによってMAOAを作る量に差が生じます。ニュージーランドの男性を対象にした研究では、酵素をつくる能力が弱いMAOA遺伝子だと暴力行動に結び付くことが分かったのですが、しかしそれは幼いころに虐待を受けていた場合に限られていて、同じ酵素をつくる能力が弱いMAOA遺伝子を持っていても、虐待を受けていなければ、特に目立った影響はなかったそうです。
これは遺伝子と環境が密接に作用し合っていることを示す一例といえるでしょう。
とありますが、この遺伝子をもつ人を「サイコパス」といっていることが多いと思います。とするなら、感情について、「自制すること」はご質問に該当すると思われます。
2021-12-17 02:57:00
遊び!
《全ての「遊び」に通ずると考えられる、遊びの本質とはなんでしょうか?》
「遊び」は仏教で仏や菩薩が利他をすることに用いられることが多いのですが、「自由自在」を意味します。この場合の「自由自在の自」は、「自然の法則性に屈服した〈個としての命である自〉」を意味していて、「自由」は「法則性によって生きる命に由来する」という意味をもっており、「自在」は「法則性の中にあることを自覚している」という事を意味しています。
つまり、「誰かにいわれたから」とか「そうでなければならない」ということではなく、「この命がそうしようと発しているからする」そしてそれが、「命のベクトルに由来していることを自覚している」ということになります。
2021-12-13 04:22:00
愛憎!
《Quoraから》
【愛情の裏返しにある憎しみとは、どういうものでしょうか?】
「愛」が独りよがりの扁桃体思考の感情的愛の場合には、その対象が思い通りに行かなかった時には「憎しみになる」のでしょう。
しかしこれはDNAよるところも大きくて、動物でも「愛憎」はあるようです。つまりこれさえも「種の保存」の本能と言えるかも知れません。
ある人がある人と「愛」の関係にあって、そこでまずは自己の保存、そして種の保存や繁栄を望む状態が生まれたと思っているところに、その相手が他に興味を持つようになると、その「自己の保存と種の保存」に不安定感が生まれて、扁桃体は「憎しみ」をもってしまうということもいえるのではないでしょうか。
だから「釣った魚に餌はやらない」と、手に入れたと世間に知らしめることができると、途端にそういう「愛憎」が消えたり、大事にしなくなるのでしょう。
しかし、そもそも前頭葉の知性的思考によれば、「愛」によって高め合うということがわかっているので、相手が他に興味をもっても、そこから何かを得て、また自己との関係において高め合うことができると思えるものなのです…
2021-12-13 04:21:00
勝ちグセ!
《Quoraから》
【勝ちグセを、どのようにつければよいでしょうか?いつも諦めてしまうのです。】
質問者さんが原田さんなので、これは原田さんの問いではないと思いますが、人間は「勝ち負け、健康と病気、金持ちと貧乏、生と死」などと分別したがりますが、この「ある状態を分断して価値をつけること」こそが、大きな間違いの元と言えるでしょう。
「人生のある状態を勝ちや負け」と定義できるものでしょうか…同じ状態が続くこともありませんから、「明日は我が身」というなかのほんのちょっとだけ「勝ち組」にいることができたとしても、いつのまにか情勢が変わって転落する可能性はいつでもありますから、「勝ち組」のひとは、ウラでは「怯えや怖れ、警戒心」という中にいなければならないものです。
また、勝つとか負けるという状態は存在するのでしょうか…多くの場合において、その基準が世間の価値観であって、自己が決めたものではないことが多いと思います。過去は変えられないといいますが、過去の解釈は変えられます。親が死んで「親孝行できなかった」「あんな親、死んでせいせいした」と思うか、「いろいろあったけど、いろんなことを教えてもらったなぁ」と回想すれば、良い親だったと思えるでしょう。
仕事でも「勝ちグセ」ではなく「糧グセ」をつけると良いでしょう。負けたと思ったこともすべてが、「糧」だったと解釈できる知恵を持てば、前進できます。「負けたと思えるようなこと」を「そのことが私を大きくして強くしてくれた」と解釈できる知恵をもてば、そのひとにとっては、どんなことも「糧」ですから、負けることも勝つことも関係なく、「なにをすべきなのか」という観点から生きていけるようになるでしょう!
「嵐をひとつやり過ごすたびに、オレたちは強かになる」ということばがありますねぇ…