インフォメーション(日々更新中)
2021-12-04 08:08:00
安心。
《安心させる言葉には、どういう特徴がありますか?》
たぶん私が思う「安心」させるという状態のハードルが高いのかも知れません。なにか悩んでいる人が、占いでいい結果をサゼスションされて安心するといった気休め的な安心は、私においては、安心してもらえたということにはなりません。もっと幅が広く、深い内容で、その人にとってその言葉が永続的な意味を持つ言葉でなければ「安心させられた」ということになるという前提があるんです。
そういう意味で前回の「安心をしてもらう言葉の創造のプロセス」を書かせていただきましたが、内容的には相手とのパワーバランスを取るというところから始まるという、一見すると「なにを言ってるんだ」というようなことを書いていますが、これはこれで真実なんです。アドラー心理学のあまり言われていない中に、「人間関係はパワーバランスからモチベーションが生まれる」といった内容があるようですが、なにを言っても「この人がいうから聞く」ということがあるものです。ですからそういう関係性がないのに「なにを言っても無駄」ということは普通にあるんです。
また、NLPなんかで言われているように、ひとは「言葉の内容」以上に、相手の見た目、言い方などの表現方法によって、同じ言葉でも効果の有無が出てくるものです。
同じことを言っても、肩書きに左右されることが普通にあるから、講演でも「大学教授」なら納得するけれど、全く同じ講演内容でも「若い兄ちゃん」では納得しないということは普通にあります。
なので、「安心させる言葉」という以上に「安心させ得る言葉を言える人間関係を作ることがまずは第一」かと思うのです。「なんかこの人は私を心配してくれている」と思ってもらえる関係を作った上において、はじめて「言葉が力を持つ」と言えるのだと思うのです。不安にさせる言葉はそこまでの必要はありませんが…
2021-12-04 04:12:00
旋律。
《録音》
どうしようもなく人間をやめたい時…
どうしようもなくここにいたくない時…
どうしようもなくひとと関わりたくない時…
そこまで人生に疲れた時…
どうしても疲れが取れない時…
疲れに押し潰されそうな時…
なにを言われてもどうにも気持ちがおさまらないとき…
なぐさめも涙も同情があっても気持ちがおさまらないとき…
そばにいてもらっても気持ちがおさまらないとき…
泣いても意味がないと思う時…
泣きたくても泣けない時…
泣くことが情けない時…
ひとはおさまりがつくような旋律を探すものなのです。
2021-12-04 04:02:00
自己。
《録音》
仏陀は仏教徒ではないのです。
キリストもキリスト教徒ではないのです。
私は私以外の何者でもないのです。
だからといって私は自我でも中神でも章生でもないのです。
なぜかこの時代のこの時にはここに生まれたいのちなのです。そこで輝くしかない植物のようなものなのです。
いのちはでっかいところで小さく生きていてもでっかいところに生まれたのです。
そのいのちは自然に生きる植物のようにそこにあるいる理由を果たすしかないのです。
その理由は考えなくても自然に生きることでわかってくるものなのです。
それがこの私という自己を知ることであり自己が社会や愚かな思想や信条に侵されることがないもっとも本来的な生き方を生きることなのです。
2021-12-02 14:56:00
霊…
《霊ってなんなんでしょうか?現代科学ではまだ解明出来るだけの技術が無いってだけのことですか?》
ひとことに霊と言っても様々な現象や体験や状況を指して言っているので、どの状況における霊のことを定義すれば良いか、このご質問だけでは分かりませんが、人間の心を精神と言うところからさらに深層心理を探り、さらにその根源を探っていくような心理的な思索における状態は霊性と言われます。これはスピリチュアルからソウルと言ういった英語などでも表現の違う状態が定義されるように、日常よりもさらに深い精神状態を表しています。また霊的な現象と言うことについては、心理学で解明されている内容や物理学で解明されている内容そして脳科学で解明されている内容もあり、現代科学で解明できるだけの技術は十分にあって、すでに多くの現象は科学で説明できます。ただし、冒頭に書いた霊性と言う精神状態については、人間と言うことを深く追求した内容による所のものが多いので、これは科学と言うよりも人間と言う観点から尊重して捉えていくべき内容であると思います。
2021-12-02 03:24:00
資本主義カルト!
《創価学会ってカルト宗教ですよね?辞めるのも一苦労だと聞きます。》
カルトについての定義がそもそも統一されたものであるかどうか分かりませんが、創価学会がカルトであると言うことを言う人たちも多く見られると思います。とは言え、その全盛期は確かに辞めるのも難しかったようですが、現代においては、信者さんが2代目3代目となってきているので、その辺のことは明確には存じません。
ただ、私は資本主義そのものがカルトであると思っていて、お金を神のように崇拝している人たちの集まりが資本主義カルトだと思っています。それこそ、この資本主義カルト辞めるとか抜け出すと言う事は非常に難しいことであると言わざるを得ません。
そういう意味で、特定の宗教や特定の思想信条についてのみカルトと言う表現を使うことが多いようですが、そもそも「拝金教」とも言える資本主義について、カルトであると考えることができないほど、その価値観を刷り込まれていると言わざるを得ないと思っています。
そして、この資本主義カルトは、意図的に作られたものであると言うことも知られていませんが、世の中のことをご存知の方はよく知っておられることであろうと思いますが、ヨーロッパの辺のある人たちが、人間を支配し堕落させていくためにあえて作られた堕落のシステムが資本主義カルトであると言うことなのです。
今や、およそ1700年代位から世の中を動かしてきた資本主義カルトに終焉が訪れていると言う状況でもあると言うことを多くの方はまだ認識するに至っていないように思えます。