インフォメーション(日々更新中)

2019-10-11 03:58:00

仏教について言及している西洋の哲学者や物理学者は、仏教になにを感じ取ったのでしょうか?

「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です」「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教です」(アインシュタイン)

「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です」「仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう」(ニーチェ)

これらは、「引用」ですが、いくらでもあるといえばあります。

ここにあるように「仏教は2500年前の古典科学」の側面をもっており、

「現代物理学や哲学」に勝るとも劣らないといえます。

ただ「日本の仏教」は歴史の中で、「大乗仏教」が主流になっているので、「〇〇仏を信じる」というような「宗教性」が強くなっていますが、

親鸞の「教行証文類」や「歎異抄」などは「英訳されていて」その英訳に触れた「外国の著名人」はこういった「本質を理解した」ようです。

およそ「日本仏教」でも書かれていることの「本質」がわかれば、「宗教」というカテゴリーではないと感じ取れると思います。

仏教で「真実」とされるのは「自然の法則性」であり、それを「文字も書けない読めない、抽象概念がわからない」というひとが多かった時代に、

「〇〇仏の救い」というストーリーで「法則性」を体得できるようになっているという「システム」(これを方便といいます)を、

親鸞の「教行証文類」が明らかにしているので、わたしのプロフに載せているホムペをご参考にしてください。

 

2019-10-11 03:28:00

あなたについて他人が誤解しがちなことは何ですか?

わたしはあまり感情的ではなく、グループ行動ができません。

自分でも「アスペルガー」かと思うことがよくあります。

そういう点を「冷たい人」と感じるひとが「ちょくちょくいて」

そうかもしれないので「誤解だ」ともいえず、

不便もありません。

わたしは、一緒に仕事をする、コンサルテーションをする、その他の仕事で、

「はじめに交わすルール」がありますが、

その中に「感情発言をしない」「感情表現は必要時しかしない」という内容がありますが、

これは「感情発言や感情表現」は「ビジネスのポイントを間違うもと」になるからであって、

その旨をも「誤解されること」があるようです。

 

2019-10-11 03:19:00

人のことを褒めるのって自分の価値が下がるような感覚がありますか?深層心理でも。全然褒めない人ってそういう感覚があるのかなと。兄弟とか。逆に人のことを貶す時は相対的に自分方が上にいるような気もします。

ご質問者さまが、「自分の価値」について課題にされているのかどうかわかりませんが、

人生や世間には「数えきれない価値」があり、「そこらへんの石っころ」にも価値はあるでしょう。

このように「価値基準」をどこに設定されているか、によって「事実上」上下を認めざるを得ないこともあります。

しかし仏教において「蜎飛蠕動(読、ケンピネンドウ。意、昆虫)でも、草木国土、山川草木」も「みな等しく尊い」と説かれています。

資本主義の「競争上の価値の上下」については「仏道」を生きていると、よくわかりません。

ただ「上下」を仏道的にいえば「次元の違い」ということになります。

「価値」という文言を使えば、どこまで「深く広く物事の価値」を見出せる「ニュートラルなスタンス」にいるか、という感覚です。

人間みな等しく尊いけれど「能力において得意不得意」はありますから、そこを見抜いて「相手の能力をどのように有効化するか」ということです。

また、自分の能力を「どのように活かせるかを知って動く」こと、

これらのように出来ることが「わたしの価値」ということになります。

そこは「個性」「個体差」ですから、「上下」はありません。

ですから「褒める」というのは、その「個性が生きている」と感じたら、「褒めればいい」ですし、「無理してる」と思えば、「案じる」ということになるでしょう!

ご参考まで。。

 

2019-10-10 21:55:00

2017年にテキサス大学で。。

仕事中に見るだけで、あなたの集中力の50%を奪うものとは?

これを遠ざけるだけで、生産性は2倍になるかもしれません…

2017年にテキサス大学で興味深い実験が行われました。

研究チームは、520人の学生に単純な作業を命じると同時に、目の前に電源を切った「スマホ」を置いたグループと、「スマホ」を視界からと遠ざけたグループの2つに分け、どちらのほうが集中力が持続するかを確かめました。

 

✅結果は、スマホを近くに置いたグループの惨敗でした。

 

スマホの電源が切ってある状態だったにも関わらず、もう一つのグループに比べて、学生の集中力はなんと半分に減ってしまったのです😱

 

研究チームは言います…

「デジタルデバイスが近くにあるだけで、認知機能は大きく低下する。デバイスの存在を近くに感じた時点で、目の前の作業に使える認知のリソースは減ってしまうのだ」

 

スマホは現代人の生活を大きく変えましたが、そのいっぽうで私たちの脳はまだ、その技術発展に追いつけてはいないようですね😅

 

たとえ電源が切ってあったとしても、スマホが見える位置に置いてあるだけで、あなたの認知機能が大きく低下する事実を受け止め、仕事中はスマホをカバンにしまうなど、あなたの視界から遠ざける工夫をしてみましょう。

2019-10-09 02:38:00

欧州のキリスト教世界において結婚は神の前での誓いでしたが、人々の信仰心が薄れるにつれて結婚制度もだいぶ崩壊してきました。日本においても、もともと結婚は宗教的で神聖なものだったのですか?

欧米においては「結婚もひとつの契約関係」といえるようです。

そもそも「契約」という概念は、「旧約聖書(神との旧の契約書)」から始まっているようです。

そういう点で「欧米はケースにより契約書も膨大」です。

それは、「日本の約款」以上の内容があります。しかし、日本では「契約書が絶対ではないので、約款なんか読むひともほぼいない」から、

「約款の内容でダマされる」ことも多いようです。

ご質問の趣旨とは違うようですが、欧米の契約が「神との契約」から始まっているという点でも「神聖」だということです。

日本では、意外と知られていませんが、昭和40年代ぐらいまでの「ブライダル産業ができるまで」は、「仏壇の前」で結婚式を行なっていたところが多いようです。

それは「仏縁(ぶつえん)」として、神聖化していたと思われます。

とはいえ、事実上「政略結婚」もかなりあったようですが。。

また、江戸時代までは「天皇家」も天台宗などに属していました。

明治の「廃仏棄釈(仏教をなくして、神社のみにする政策)」によって、天皇家は、ほぼ神社オンリーになりましたが、

「廃仏棄釈政策自体は成立しませんでした」から、「仏壇と神棚が同居する」のが日本の習俗になりました。

日本でも「結婚が商業化」するまでは「神聖だったので」神前結婚、チャペル結婚、仏前結婚など、

「本来、神聖な存在の前で行なわれる」という内容が「形骸化」したカタチでも残っています。

なお「日本人は戦後までは《天皇》という《神》が絶対だった」ので、「無宗教」ではなく「天皇と仏教」という「ダブルスタンダード」の宗教国だったのです。

戦後「天皇が《人間宣言》をして、天皇が《神から象徴》に変わりました」が、「このことを意外に受け入れられないひとが多かった」ようで、

「宗教」がどんなものかわからないという「混乱のなかで資本主義への移行」が行なわれたため、日本には「無宗教」という人が多いという学説もあるようです。

 

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