インフォメーション(日々更新中)
2020-06-16 06:25:00
現代って「ヘン」。。です😆
わたしはいつも「宗教や西洋哲学や心理学、物理学に基づく人間の精神世界」と「経済や政治」について書いているが、、
国会で決まることが「目の前の現実」とダイレクトに直結していて、地方自治体はそれに準じているということに関心がないひとが多いように思うからである。
「国会でなにを決めているか」ということよりも「スキャンダル好き」では意味がない!
そして日本は随分と昔から「日本政府」のみで動いていないことは、なんとなくわかっている人も多いであろう。
こういう1次元的見方では、まだまだ日本の本質を理解するに至っていない。
アメリカが日本を動かしている、、
と言った見方もまだまだ浅い!
そもそも歴史のどのあたりから、どういう組織が動いて日本政府が苦労しているかをより深く見ないと、、
「ある日突然」思わぬことが起こって、「大パニック」を起こすひとが多いことになるだろう。
より歴史的に現実を深く見ることが、まずは「あったほうがいい」けれど、、
目の前のことで精一杯ならば、なにが起こっても「不動」のこころや「貸し借りなしの助け合い」という「精神」が重要になってくる!
こういったことから、「政治や経済」を見ることと、「宗教などの精神世界」を見ることの重要性を記述している。
この先、米のあの人が勝てば、「株式」などもなくなるかも知れない!
あのひとは「虚業よりも実業」というひとであり、「お金でお金を増やすこと」をよしとしないからである!
腐り切ったいろいろな利権をゼロからやり直すことを試みているようである。
いずれにせよ、これからは「精神世界」が重要になってくることは目に見えている。。
それは「子育てできない親」も、もはや育児放棄(ネグレクト)ではなく、赤ちゃんになにを食べさせるか、、
育てていても、そんなことすらがわからない親が増えていると里親のひとなどから聞く、、
こんな当たり前のことがわからないまま「赤ちゃんを餓死させてしまう」といったことが起こっている。。
ゲームの中の自分を自分と思い込んで「なにも食べずにガリガリになっている成人」などを見ていてるような若者を、リアルな現実に引き戻し、「本来の人間に戻ること」が重要な時代なのである。
バーチャルから現実の精神世界に転換させていかねばならないといったことまで起こっている。。
僧侶などに期待される「現代における精神世界の構築」は大きな課題だと言えるだろう‼️
2020-06-15 03:37:00
いまあまり書けないこと。。
いまの世界情勢は、英米の対立というか。。
いままで米を使って世界をウラから動かしていた、、
英に対して、トラ※プさんが、米の完全独立をしようとしていて、
このひとの「マイナス材料を報道」しています。。(英)
このひとはじつはけっこう良いひとなんですけど、なんせ報道が。。
こういったなかで、いままでひとつの流れだったものが、分かれているので、
日本政府はどっちのいうことを聞くか苦しんでいます。
中国は、ご都合次第でどっちにもつけるので、
じつは強いので、、
国内のひとは「良い国」と思っていうひとが多いのですが、、
「意図的報道(プロパガンダ)」によって、
悪い国イメージがありますが、、
それは英がさせてきたことです。。
さて米の建国記念日が近づいてきました。。
以下5月に出されたものですが、文中の「皇太子」は日本の皇太子ではありません❗️
かの国の王や皇太子には逮捕状が2013年に出ているのは確かです。。
内容につき真偽のほどは、確認不可ですが、
この内容から汲み取ってください!
以下、逮捕状のタイトル。。
名簿もありますが、控えます‼️
2020-06-15 02:07:00
二進法と二元論‼️
一如という仏教の「一元論」においては、「無我や空」を根元としている。
そこで「わたし」という「一」が生まれて「ゼロと一」の「二」になるということを以前に記述した。
これは「二進法」として、いのち「命根(みょうこん)」が動き出した時に「いのちエネルギー」が進むなかでの「二」であるから、「二元論」を表しているのではない。
先述した「あやまること」による「終了」は、「なにも生まない」ということと同じである。
「あやまる」よりも「なぜそうなったかを互いに考えて、互いに前進すること」が智慧と慈悲を生むのである。
「一如」という状態では「なにもスタートしていない」けれど、「わたし」という「一」が生じて「ゼロと一」の「二」になった時、「一如から来生」するという「如来」が発生(スタート)する。
つまり「あくまでも如来はわたしと共に生じ、わたしと共に滅度におさまる」ということである。
そしてその「滅度=薗林遊戯地門(完全利他)」だとしても、それは、わたしという命根が「現生」において「利他ること」と因果同時からの「未来(未より来る)」状態を定義しているということを意味しており、、
逆に、今のわたしの命根のベクトル(方向とエネルギー)を表しているということであり、現生に「智慧と慈悲を行じる」ということである。
「如」という「無我、空」の一元から「わたし」が生まれて二進となるという意味はそういうことを表したものである‼️
2020-06-14 02:29:00
あやまることは終わり‼️
こんなことは常識外れだと思われるでしょうが、
「あやまること」は終わりを意味するので、
互いに「学び」がありません。
どっちが「良いか悪いか」ではなく、
「互いになぜそうなったか」を考えることで智慧になり、
「失敗を恐れずに生きること」ができるようにもなります。
すぐに「あやまれ!」とか「土下座すれば終わり」では、
互いに「自己満足」で「終了!」となってしまいます。
「あなたのおかげで失敗したけど、いろいろと学んだね!」という姿勢が、「両者の智慧を育てます」から、、
「ごめんなさい」よりも「ありがとう」という気持ちで「前向きに進むこと」が互いに育つ糧になることを、、
親鸞さんの「悪人正機」は教えているようにも思います‼️