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2021-09-19 20:35:00

成功と晴耕雨読‼️

東京の一流大学に入って、卒業後から奨学金返済に追われて、一流企業に入って、執行役員ぐらいまでになって、とても華々しい人生を送っているように見えている人が、40歳に奨学金の返済を終わりながら、そのまま今度は住宅ローンを抱えて、 75歳まで借金に追われる。

その中で、子供を大学に入れたり、いろんな人との付き合いでお金を使い、結局たいした貯金もたまらず、60歳になって定年退職を迎え、天下り先もなく、どうしたらいいんだと悩んでいる東京人が今増えているようである。

 

人にとっての成功というのはどういうものなんだろうか。華々しく生きているから成功していると言う事が言えるのだろうか。

私の知人で、高卒で地味に生きたひとが、今長野のあるところで、まるで自給自足のような晴耕雨読の日々を送っている。

60歳のその人の表情はとても穏やかで、子や孫も含めて穏やかでゆったりとした温かい人生を生きておられる。

人間にとって、どっちの方が良いのか、別に比べたりしたくは無いけれど、華々しい生活よりは晴耕雨読と言う日々を過ごして自分の心を穏やかにさせて生きている人を見ると、人間の本来のあり方をその中に見てしまう。

 

これも環境なのかもしれないけれど。

確かに環境は人を左右する。また、メディアだの報道だのネットだの、そういったものを見ていれば、若い時代ではそーゆー華々しい生活を夢見ることだろう。しかし、だんだんわかってくるけれど、そういう喧騒の中を生きていて生涯借金に追われて、家族はバラバラで、そんな都会の成功を夢見る人たちにいってあげたい。

もうメディアも報道も、ネットもそういったものから離れて、もともとの田舎に戻るか、誰かの田舎に一緒に行って、ともに落ち着いた日々を過ごすか、とにかく環境の良いところに行くこと。

これは老後であろうがなかろうが、どんな人にも当てはまることだと思う。

都会の喧騒の中でローンに追われて、仕事仕事と探し回って、ストレスのために病気になって、医療ビジネスのお客になってしまって、結果どうにもならないと言う中で死んでいく。そして今度は葬儀ビジネスに利用されて、どこぞの霊園に埋葬されても、子供や孫がお参りなんかに来るはずがない。

死んだら終わりだとうそぶいて生きてきたんだから、自業自得である。

都会の中に生きていても、優しさや愛やぬくもりといったことがそもそも育つ環境ではないからである。

死んだら終わりの人の命を思い返す人もどんどん少なくなって、子供や孫もあなたのことを忘れ去ってしまうかもしれない。

そーゆーのが、成功と言うことなのだろうか。



早く田舎に帰れ!

そして、人間らしい心を持った人たちになれ!

と、大いなる自然が不自然の中を生きている人に語りかけている。

成功だのセレブだのそういったことに振り回されて、結局、何も得られないまま、子供や孫を同じようなことにのっけようとする。

優秀な人だ、あの人は仕事ができる、あの人のように夢をつかんで華々しく生きていきたい。

これは幻想である、なぜならそういう人たちが本当に満足しているとは思えないからだ。

そういう人たちは成功したのではなく、ある一定の立場を得ただけで、その立場を守ることに精一杯ストレスいっぱい我を張っているだけなんだ。

退職すれば、年賀状も来ない、お歳暮ももらえない、お中元ももらえない、だんだんそうなっていく中で、60歳すぎて、俺の人生って何だったんだって思うようになっていくものなんだ。

 

60歳を過ぎて、75歳まであと15年どうやってローンを返そうかそんなことに悩みながら、仕事がない仕事がないと言いつつ、そこで初めてカードローンだとかなんだとかに頼ることになって、さらに借金を増やすことになる。

都会では、1億や2億お金を貯めていても、仕事がなければあっという間になくなっていく。ローンをそれで返してしまうと言うわけにも行かない。仕事がないんだから。

 

成功して夢をつかむだのなんだのかんだの考えないで、田舎に帰って実家がもうないんであれば、安い所に住んで、都会で培った知恵を持って、寂れた田舎をどう盛り上げていくか、そんなことをやっていけば、晴耕雨読の人たちを増やすことができて、心や精神がストレスから解放される。

そーゆー老後を生きる人が増える。これは人間にとって大変に有益であると思われる。

 

私もいつか近い将来、この場所を離れるだろう、それは地球上なのか、あるいは命が別の姿に変化していくのか、それはわからないけれど、今ここにいても、自給自足はできないまでも、晴耕雨読の日々を今は送りつつ、穏やかな気持ちでこんなことを書いている。

2021-09-18 23:08:00

脳を緩める‼️

脳は、遊びがある方がいろんなアイディアを出してくれると聞いています。

日本人って結構真面目で、会議なんかも真面目にやろうとするから、脳が硬くなってアイディアが出てこないと思われます。

今日もある会議があったのですが、まぁ固いというか細かいというか、そのぉ重箱の隅をつつくような質問をして、大枠は何にもよくわかってない、そんな感じの会議でした。

私は呼吸器外科だから、呼吸器内科の事はわからない。以前そう言っていたドクターがいましたが、外と中とっていうか、切った貼ったできるけど、う〜ん中身がどう働いてるかそんなことわからないなんて言ってるような人が医者でいいんだろうかなって思ったことがあります。

 

「とりあえず私一方踏み出そうと思っています。」と言っている若者がいて、その一方踏み出したことで、踏み出した部分の土が落とし穴だったらどうすんだって感じで、君はその場所が落とし穴だったときにどう対応するかを答えなさい。なんてバカなことばっかり言ってるヤツが、どうしようもない大人だったりする。

 

今、就職氷河期世代の人たちが仕事がないって悩んでいるらしいけれど、これはあながち人が多いと言う意味ではなく、この世代の人たちは、お前はだめな奴だもっと勉強しなさい。なんでお前はこんなにダメなんだ。

な〜んて言われてきた人が多いような時代なんだと思っています。

 

いっぽ前に足を出したいのに、その1歩が怖い、こんなだめな私が1歩踏み出していいんだろうかなんて思ってる人が結構多いんじゃないかなーって想像しています。

 

皆さん、いっぽ踏み出して、足を踏み外したって、落とし穴にはまったって、そういったところが人生の面白さだって、なんだか最近そういうことがよくわかってきた、結構人生面白いなぁって、成功だとかうまくいくだとか、安定だとか安全だとか、そんな人生全く面白くない。

やっぱ、うまくいかないことがあってどないして頑張っていくかなーって、テキトーに考えながら前に向いて進んでいくって人生がなんだかとっても面白い、そんなふうに思っているのです。

2021-09-18 22:28:00

適当‼️

最近なんだか思うことがあるけれど、人生ってテキトーが一番いいんだなーって思うんです。

漢字的には「当に適すべし」と書くけれど、イメージ的にはゆるゆるな感じで、なんだかがんばってもがんばらなくてもどっちでもいいやって感じで、一番適当が一番適当やなと思っています。

こうじゃなきゃいけないとか、あーじゃないといけないだとか、真面目にやれとか、ふざけちゃいけないとか、なんだかんだみんな言うけれど、適当っていうのが、ストレスも少なくて、とは言えそれなりになんかなるし、適当を適当にできる人が一番適当な人だと思っているのです!

2021-09-17 18:10:00

おっさん‼️

俺は西本願寺派の布教使です。

草津市で西念寺って言う寺の住職をやってます。

以前会社を経営してました。

だとかなんだとか、そんな事はもうどうだっていい。

世の中は陰謀に支配されている。フリーメーソンがどうだとか国家がどうだとか、悟りがどうだとか、何が真実かとか、なんだかそういう言葉や大義名分に振り回されて生きてきたような気がする。

私じゃないけど、あるおっさんが、全国でがんばってやっていけるようなおっさんだけど、草津市のあることに懸命に努力して狭い世界ではあるけれど全国なんて言うことに目を向けず頑張ってきたおっさんがいる。

そのおっさんは、全国でも多分世界でも活躍できるような能力を持っている人だと思うけれど、自分の嫁の心の痛みに全人生をかけて、その地域の人の心の痛みに全人生をかけて生きてきたおっさんである。

そのおっさんが、何かわけのわからない勲章をもらうらしい、そのおっさんも別にそんなものが欲しいわけじゃない。

けど、それだけ人の気持ちに熱くて、見た目も泥臭いし、言葉も荒っぽいし、けどその泥臭さや荒っぽさに多くの人が真実やぬくもりを感じていて、その人に勲章をあげてほしいって思っていてどうやらそういう運びになったらしい。

俺はそういう事は嫌いだけど、もちろんそのおっさんもそうだけど、そのおっさんは、多くの人から勲章をもらってほしいと言われるような不器用でど直球でまっすぐなおっさんだから、俺もその祝いに出席しようと思っている。

とかく祝宴だとかお祝いだとかそういう席ってのは、建前で生きてきたヤツの取り巻きだとか、利害関係のあるやつとか、そういう人が集まる場所だと思っているけれど、今回はどうやら違うらしい、そういう真にあったかいおっさんのお祝いなんだから、足元にも及ばないオレは行かないわけにはいかない。

心からお祝いを言って熱いぬくもりをもらって帰ってこようと思う。

多分一生かかっても、俺はそのおっさんのようにはなれないだろうけれど、真似事ぐらいはできるんじゃないかなって思ってこれからも立場や大義名分なんてもうそんなことどうでもいいから、ど直球に俺の命がしようとする事を自然にそのエネルギーに任して、ど真剣に生きていく、それしかないって思っている。

2021-09-17 17:47:00

虚飾‼️

なんだか世の中を見ていると、ネットだとかSNSだとかYouTubeだとかなんだかわけのわからない世界でみんながつながっているように錯覚しているように思う。「いいね」がいくつあるとか、何人の人がカウントしてるとか、そんなことがよりどころになったり、その人の自己実現になったり、そんなことって、全く風の中の灯のようなもので、いつ消えるとも限らない。

そんな程度のものだと思う。

けれど、別にそれで納得している人を批判する気もないし、納得してるならそれでいいとも思う。

でも、その納得が何かによって揺らぐことがないように、そういうところを生きている方たちに、腹をしっかり持って「そんなことに振り回されるなよ」ってアドバイスしたい。

今の時代、誘惑も多く、なんだかメディアに影響された幻想の世界を求めている人たちが多くて、人間臭さとか、土臭さだとかそういった本来の人間としての原点を忘れてないかなぁって、みんなに問いかけてみたい気もする。

SNSなどで炎上するだとか、個人が特定されないからって言って、いじめてみたりとか、こいつばっかじゃねーのとかお下品な言葉も使われているし、なんだか人の気持ちの奥底がドンドンと崩壊していってるような気もしないわけじゃない。

でも心の奥底に自然の中を生きている土臭い、人間臭い、間違ったり、迷ったり、泣いたり、うめいたり、そういったことがありながらも、誰かがためらいもなく寄り添ってくれたり、励ましてくれたり、心のそこから一緒に悩んでくれたり、みんな互いにそういう気持ちがあるはずなのに忘れられているように思う。

あの人は汚いから触りたくないとか、あの人の匂いが嫌だとか、パワハラだのモラハラだのブラック企業だのと横文字の言葉ばかりが先行して、その人その人の心の奥底の嘆きや叫びを誰も聞いていないような気がする。

自分を見て欲しい、自分を輝かせたい、あーなりたいこうなりたい。

そんなふうに自分のことばかりを虚飾で固めようとしていても、誰もそんなことには振り向きもしない。

そばにいる人の心の奥底の嘆きや叫びや苦悩の声を、少しでも耳をそばだてて聞いてあげて欲しい。

自分を虚飾で飾ったり、よく見せたりする暇があったら、1人の人にでも心の声に耳を傾けてあげることの方が、よっぽど価値があることだと思う。

みんなから取り残されるんじゃないかとか、みんなに遅れをとるんじゃないかとか、お金がなくなるんじゃないかとか、仕事がなくなるんじゃないかとか、いろんな不安がみんなにあるかもしれないけれど、その不安に振り回されず、そばにいる人の不安を聞いてあげて欲しい。

これから世の中どうなるのかなぁなんて考えてみても、誰にもそんな事は本当にわかるわけがない。およそ今起こっている出来事や、社会の中で起こっている出来事の中で、自分に何ができるかって言うことぐらいしか人間には能力がないのかもしれない。

でも焦って生きている人や、ひとの目を気にしながら虚飾に振り回されている人は、その能力すら失っていってるように思う。

人間は、みんな不安なんだよ、みんなどっか虚しいんだよ、みんな誰かに居て欲しいんだよ。

だからその人間の原点というか、自然の中で人間くさく生きていく、そういう原点に戻る。そういうところから本当の人間関係や温かさや、真実って出てくるんじゃないかなぁ。

都会に生まれ育った人も、一度でいいから泥まみれで、泥だらけになって、互いに笑ったり抱き合ったりそんなことをしてみたら、そこに本当にぬくもりがあるっていうことがわかる。

きれいなとこできれいなことを言ってきれいに着飾って、そんなところにいても多分一生かかっても人間の真のぬくもりや人間の真の関係ってのはわからないんじゃないかなぁって勝手に思っている。

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