インフォメーション(日々更新中)

2021-09-21 22:20:00

トランプ‼️

このページを読んでいてくださっている方にのみお知らせできることですが、アメリカ第45代大統領は、世界の資本主義によって人間が人間性を失っていくことを憂い、その純粋で敬虔なクリスチャンの姿勢を持って、人間を資本と言うところから解放しようと今現在も各所で奮闘されています。

日本のメディアは、当時反大統領の組織がメディアをコントロールしプロパガンダを流していたので、この人への評判は日本ではあまり良くありませんが、この方は人を大事にし、お金の大切さもわかっていて、誰もが思う以上に敬虔なクリスチャンで、資本主義以上の新しい社会を作り、人間を人間としてさらに能力の高い心を持った人やあたたかい人を作るシステムを考えておられます。

その背景には、尊敬するお兄さんが、病気で早くなくなり、この方へ「酒やタバコやつまらん遊びをするな」と教えてきたことも敬虔なクリスチャンになられた事情の1つであるといえます。

911の時も、真っ先に現場に駆けつけて人々を救い出している写真が残っていますが、私の手元にはありません。

私はこの方へ、日本の人たちも応援している人がいることを伝え、ご丁寧なお返事までいただいておりますが、そういったわけでわからない日本の1人のおっちゃんのメールにもきちんとした対応をしてくださるような方であるとお伝えしておきます。

2021-09-21 20:05:00

早く死にたい‼️

カッコいいお年寄りやステキなお年寄りが日本はいない!

強欲で、やかましくて、ウザイお年寄りは多い!

マジ、リスペクトできる親も少ない!

ヒーローになる年輩層がいない!

かっこよく大活躍しているお年寄りがいない!

人生のモデルにしたい先輩達もいない!

年をとってこそできることがあるって思えない!

 

だから、いまの若い人たちは、年を取りたくない。。

長生きしたくない。。

生きるのがシンドイ。。

 

できるなら早く死にたいっていうのじゃないかと思うのでしょう‼️

2021-09-21 03:06:00

圧力‼️

【ストレス】

 

日本でストレスと言うとその内容を定義しにくいものですが、中国語でこれを書くと「圧力」と言うことになるのです。

日本でよくプレッシャーなんて言いますが、微妙にニュアンスが違っているように思うのです。

 

日本人は、時間に正確だったりと言うことが普通に行われているのですが、これは非常に圧力になると思うのです。

時間に間に合わなければいけない、遅刻したら理由を言わなきゃいけない、そういったことに気持ちを向けるとそれが圧力になってくるのです。

 

私は、日本の車が壊れにくいと言うのは、遅刻をしないと言う文化が根っこにあって「車が故障したのでちょっと遅れました」なんて言えないから、だから壊れない車を作ったんじゃないかなーなんて思っているのです。

 

電車だってなんだって、1分1秒遅れることに日本人は結構厳しいので、お仕事に従事される方は非常に圧力になっているんじゃないかなと思うのです。

 

日本のストレスっていうのは、時間そのものと言うよりも、その背景にある何らかの文化が圧力となって押しかかってくる、そーゆーストレスなんじゃないかなと思っているのです。

 

また、日本人は取り越し苦労民族と言われます。だから、別にそんなことで怒られないのに、ひょっとしたら怒られるかもなんて思ってて、「取り越し苦労圧力」って言うストレスもあるのかもしれないのです。

 

皆さんにとって、「何が圧力の根っこにあるんだろう」って考えたら、「あーこの圧力を感じる意味はないなぁ」と言う不要な「ゴミ圧力」もたくさんあるのではないのでしょうか。

どうぞ皆さん、不要な圧力を感じないように、ストレスと言うおおざっぱな言葉で何を定義しているのか、そういうことを検討していくことで不要なストレスから解放されると言うこともあるのではないかと思うのです。

逆に、これに伴って、遅刻したり何か文化的に制約されているなぁ、と思うものごとを互いに理解しあって、「あー別に遅れたっていいよ」と言うようなおおらかな気持ちを持って関わることも大切なのじゃないでしょうか。

 

もう少しゆっくりとおおらかに、人間関係を少しずつでもゆとりを持ちながら関わっていくと言うことがあれば、かなりの圧力は低減されると思うものなのです。

 

車のハンドルに遊びが必要なことと同じものなのです。

2021-09-21 02:31:00

チップ‼️

チップと言う制度について、

日本以外の多くの国は、チップを払うと言うのが普通になっています。

台湾なんかでも、連泊する場合、枕元何かにチップを置いておくと、ベッドメイクの人が喜ばれます。

何年か前の話ですが、台湾のすべてのビルの中は禁煙と言うことになりました。

その際でも、普通の倍の金額になる100台湾ドル(呼称は置いといて)の金額を置いておくと、部屋でタバコを吸ったことがばれていても、ベッドメイクの人が黙っていてくれるから100台湾ドルおいといたら大丈夫と言われました。

その頃1台湾ドルは、日本円で約3.5円位だったのでざっくりと繰り上げて 4円としたら、100台湾ドルを置いてあれば、10室で1000台湾ドル(約4000円)になります。20室で2000台湾ドル、これを20日間で計算しても40000台湾ドルになります。

これを日本円4円で換算すると160,000円と言うことになります。

 

これは大雑把な計算ですが、こうなれば、もともとの給料より高いと言うことになります。

駐車場なんかでも、駐車場を管理している人にチップを多めに渡すことによって、大事に車を預かってくれたりします。

 

このように考えると、チップの方が給料以上の収入になる人も多く、仕事へのモチベーションにもなったりと言う効果があると思うのです。

 

逆に、チップの安い人に対して、いい加減な扱いになったりと言う堕落の方向にも進むと言う可能性は大いにあります。

 

こういうことを考えてみると、日本は給料以上の余分な収入を得ると言う手段が、残業であったり、副業であったりと言うことになりますが、本業の給料以上のものをそこから得ると言う事は難しいと言えると思うのです。

 

また、人間的に仕事をする中で、チップによってその裁量が変わるとか、人間同士の機微を感じ合うとか、そういったところに功罪もあると思うのです。

 

そういう点において、チップの文化と言うのは、労働される方にとって、功罪を検討して、ある意味あっても良いのではないかと思うのです。

働き方改革に於いても、日本が本当の意味で国際化する中で考えても良いことなのではないのでしょうか。

 

日本人は、貯金を美徳とする中で、お金を払いたくないとか、ひとによって金額でサービスの差をつけるということには納得がいかないという意見は多いと思います。

 

もちろんチップの功罪と言うのは、ここに書いたこと以上のものがあると思いますが、改めて今の「日本の仕事」についてふと思ったのです。

 

なお、タクシーの運転手さんにとっては「お釣りはいりません」と言うのは大変ありがたいことなのです。

これはチップと言うことではなく、タクシーの運転手さんは、釣り銭を自分の懐から準備しなければならないと言う前提でお釣りを準備しているので、先出しして、コンビニで10,000円を出してコーヒーを1缶買ったりとかそういう手間が厄介なことなのです。

 

ですから、タクシーに乗ってワンメーター位で10,000円を出されてしまうと、さっき崩したばっかりのお釣りがなくなってしまったと言うことになります。

 

この点を考慮され、タクシーに乗られる時は、お釣りを渡してもらわなくてもいいような支払い方をできるようにすると言うことが乗る側の気配りとしてあると良いと思うのです。



2021-09-20 05:34:00

【無為法】ご参考に‼️

【無為法】(ご参考に)

 

三無為

 部派仏教中の説一切有部によって主張される。

択滅無為(pratisaṃkhyā-nirodha-asaṃskṛta)

 簡択力によって得られた滅。簡択とは四諦の理をさとる智慧。この智慧によって煩悩から解脱したところに顕れる空寂の真理。涅槃のこと。すなわち汚れなき智慧の力により煩悩を断ずるところに現われる無為をいう。択滅の数は煩悩の数とひとしいとされる。

非択滅無為(apratisaṃkhyā-nirodha-asaṃskṛta)

 簡択力によって得られる滅でない空寂なるもの。因と縁とを欠いて現象として生じないもの。たとえばある一つの物(色)を眼(眼識)で見るとき、他の物を見る・聞く・嗅ぐ・触るという感覚(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識)は生じないままであることをいう。これを「縁闕不生の非択滅」という。唯識では、真如のありよう.顕れ方に応じて次の6つの無為を立てる。択力によらず、縁欠不生によって、生ずべき法が未来にとどまり生じないところに名づける。

虚空無為(ākāśa-asaṃskṛta)

 いかなるさまたげ(障礙)もない広大無辺な空間。そのなかで、もの(色)がさまたげられることなく、自由に動きまわり、増大・収縮することができる空間。虚空は実体として存在する(実有)。無礙、すなわち諸法が存在するうえにおいて障害の無いことをいい、いわば絶対空間ともいうべきものを指す。単なる隙間の空間としての虚空とは異なる〔『倶舎論』1〕。

 他の部派仏教では大衆部や一説部などが九無為説を主張する。

 

六無為

 大乗仏教の唯識派によって主張される。唯識派による無為は識変と法性とにより仮立される。六種の無為を説くけれども法性所顕の縁によりて説くのであって別体はない。

虚空無為   法性すなわち真如が障害を離れたところに現われる無為である。

択滅無為   法性の択力で汚れを滅したところに現われる無為

非択滅無為  法性の択力によらず本性清浄あるいは縁欠不生により現われる無為

不動無為   第四静慮に入り、苦楽受の滅を得したところに名づける無為

想受滅無為  非想地の滅受想定に入り、想受の滅を得したところに名づける無為

真如無為   法性が真実如常の相を有するによって名づける

 前の五無為はいずれもこの真如無為によって仮立されたものであり、真如無為も仮名であるが、その体は実有であるとされる。

 有為と無為とは説一切有部ではまったく関係なく、また唯識仏教においては、「有為無為永別」として、有為の諸法は真如たる無為法から縁起してくるものではないとされ、有為と無為とは能依所依の関係である。これは性相を決判し、「真如凝然不作諸法」と建てる法相教学からきたものである。

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