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2020-07-17 03:58:00

貼り紙禁止!

これを読んでいるみなさんは、この文章のなかで色々な思いを巡らされると思うけれど、中にはただ読み流してなにも残らないひともおられるハズだと思うのです。

 

それはその人の興味が「内容」なのか、わたしなのか、投稿そのものなのかどうかという「読み手のモチベーション」によるといえます。

 

この文章は「貼り紙禁止」と書いてある「貼り紙」は「貼り紙なのか?」という論理的な内容にも似たことを書いているのですが、、

 

「貼り紙禁止」と書かれた「貼り紙」は「論理上」貼り紙にはならないということを理解していただければわかることです。

 

「今日わたしはあることを通して、コロナの真実を知り、今後どうなるかというサゼスションを得ました。」

「とにかく23年までに大転換が起こります。」

 

あなたはこの文章からなにを読み取られるでしょう。

 

よくよくお考えいただければと思います。

「貼り紙禁止」は貼り紙ではないのですから。。

2020-07-16 02:41:00

正しさよりも、、

正しさよりも相応しさ❣

2020-07-14 03:13:00

ひとはなぜ擬人化したがるのでしょう?

私見です。

日本では「太陽」を「お天道様」といったりしますが、

たぶん、日本人は「すべて神」であり、そのトップが「天皇」という歴史があるのではないかと思います。

そういう意味で「お天道様と雲」はセットで「お天道様」が雨を降らせてくださった。。

という表現をしたりという意味では「お天道様」は「太陽以上に広い概念」なのかもしれません。

そういう意味でも、「石や樹木」にもなんらかの「神的な要素」をみているから、、

到底論理的には理解できない「石」を拝んでみたり、「御神木」だとかいってありがたがったり、

「御神体は鏡」だったりという、意味不明な信仰があります。

また、仏教でも「論理的な思想や哲学的側面」よりも、「阿弥陀さま」という「擬人化」した信仰が自然に溶け込むのでしょう。

阿弥陀如来は「字も読み書きできない、抽象概念のわからない時代の人」に「法 धर्म Dharma」を人格化して表したものと論じても、

やはり「阿弥陀さま」の方がしっくりくるという「寺生まれの若い僧侶」はいいます。

日本人には「論より情動」の方がいいのです。

つまり日本人は基本的に多神教の文化で、「論よりストーリー」という文化ですから、

そのうえに「戦後教育」で「考えない、論じない教育」を受けているので、

「太陽や気象論」よりも「お天道様」の方がいいのかもしれません。

とはいえ、その方が「もったいない」とか「物にも命を見る」という、

感謝の文化が基本になっていて、「米粒ひとつの恵」を大事にするという意味では、

世界に類を見ない文化といえるでしょう。

「虫でも、虫さん」といえる文化です。

しかし、最近はそういう文化も「どこへやら」となってきており、

無理くり「ありがとう」と言わされているだけで、

心から「うれしいね!」「ありがたいね!」ということが減っており、

形式だけになっているのは残念な気がします。

「擬人化すべきこと」と「論じるべきこと」が不明瞭にもなっているように思います。

2020-07-13 23:38:00

新宗教に熱心なひとの思考を知りたいので、行ってみようかと思いますがどうでしょうか?

そういった類の宗教団体を侮るとめんどくさいことになります。

それは「カルト」といわれる団体には「じつは大きなめんどくさいバック」があったり、

そもそもそういうバックが「洗脳集団を作るために作られた団体」だということです。

わたしたちは「知らないところで出されるもの」には一切口をつけません。

どこにどういう仕掛けがあるか、とりあえず「隠しカメラ」は新宗教団体にはどこにでも設置してあります。

宗教団体によっては、その後あなたを特定して追跡し、何か「トラブルやめんどくさいこと」を起こす。。

かもしれません。

あくまでも、事例であって、宗教団体や新宗教がすべてそういうことをしているということではありません。

宗教でなくとも、占いや霊能師も同じことをやっているところもあるものです。

危険を承知でよほどの「内実」を知らないところに興味本位で行くことをお勧めしません。

この文章を読んで「不快になられるかた」には申し訳なく思いますが、、

実態ですので、ご容赦ください。

2020-07-12 18:49:00

改めて「矛盾」をどう考えますか?

これは設定上「営業トーク」なので、「矛盾」はありません。

「どんなインクでも落とすクリーンシート」と「どんなクリーンシートでも落ちないインク」と同じで、

インクを落としたいひとは「前者」を買ってみるでしょう。

落ちたら困る看板のようなものを作りたいひとは「後者」を買ってみるでしょう。

つまりこの2種は「実証しないとわからない」「周囲の湿度やインクをなにに使うか」など変数が多いので、

買って「その通りにならなくても仕方ない」ということは、この事例に限らずよくあることです。

「矛が盾を1センチほど突き破った」とすると盾が矛に勝ったとも、矛が盾に勝ったともいえるので、

「購入したひとがどのレベルで納得するか」ということになるかもしれません。

つまり「矛盾」かどうかは「当事者」がどのレベルで納得するか!

ということになるでしょう。

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