インフォメーション(日々更新中)
2020-07-20 22:10:00
33ナンバー‼️
1970年代に「日本やアメリカ」あたりは、贅沢の極みを迎えたと言えるだろう。
豪邸に贅沢な調度品などは、日本でも「洋式の客間」には「ハクセイ」まであったり「日本式の庭」には大きな石や木があって、綺麗な塀や屋根なんていう家をこぞって建てた。。
クルマもデカいクルマを33ナンバーと「誇っていた」時代である。
レストランでも「フランス料理」が流行っていた。
それがいまではなるべく「パソコンやスマホなど」の機能的なものが重要視されていて、「調度品はゴミ扱い」「庭は駐車場」「客間は不要になり」「長持ちしなくてもオシャレな家」「マンション」などに価値観が移っている。
外食も「マクド」や「サイゼリア」でいいという時代である。
アメリカなどでも「豪華さ」はバカにされ「スッキリしたオシャレ」が価格に関わらず求められる。
また「アメ車」も小型化している。
人間の価値観がこのように変化していても「求めていること」は同じで「ひとから見た自己の価値」だったり、「自分が納得できる自己やその生き方」である。
以前なら「豪邸」といえばセレブと言われていたけれど、ミレニアム世代に「セレブ」は必要ない。
それより「SNSのいいね👍」が欲しい。。
そしていまや「いいね👍」より、仮想人間とのやり取りやzoomになっていて、「欲しい心」が画面の中にある。
ゲームで画面の中に「自己の分身」である「アバター」を作り、現実世界に欲しいものはない。
けど心の中では「ひと」を求めている。
ゲームの中の「仮想現実のひと」をバカにする前に、「現実世界のひと」が「ひとといえない」ようなひとが増えていることが世の中をおかしくしていると言えるのではないか。。
「人間への回帰」は精神世界からであることを、重ねて何度も記述しておきたい。
2020-07-20 19:49:00
考える芦とめしネタ。。
世の中に「お金儲け」の話しが多いのは、
けっきょく「めしネタ」を追いかける以外に「すること」が見つからないからだと思う。
そういう意味で改めて「宗教や哲学思想」といったことの大切さを思う。
パスカルが、
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。
考える葦。
私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私が宇宙をつつむ。
— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、226頁。
などと書いているが、
「精神的に重要なこと」を考えることを差し置いて「めしネタ」を追い求めるだけが人生のように「騙されている」から、、
現代人は「宗教や哲学思想」をバカにするのではないだろうか?
2020-07-20 19:14:00
時短は寿短‼️
【旅と旅行】(わたしの大事な友人へ)
「人生は旅」と言われる。
現代は、時間の動きが「スピード」を増している。
「特急列車」は効率も良く目的地で「やりたいこと」ができる。
けれど、そんなに急いで目的地に到達して「やりたいこと」に意味があるだろうか。。
目的地へ急ぎながら「いのちを削るようにハイスピード列車に乗る」ことは、「危険」だといえなくはないだろうか。。
以前わたしは「新幹線」で東京へ行く途中「意識不明」になって「ぶっ倒れた」けれど、「高速」ならではの「重力や車内電磁波」はかなりなものだということであった。
(それらが原因で倒れるひとが少なからずおられると聞いた)
はやく目的地に着くとしても、東京でやりたいことができるにしても、「時間」をプレッシャーやストレスにすべきではないと思う。
わたしは、滋賀から大阪に行く時も、、
新快速で50分ほど、、
快速で1時間10分ぐらいだから、わたしは「すいているゆっくりできる」から「快速」に乗る。。
時間が短縮できても、その「やりたいこと」に意味はあるのか。。
目の前に「やりたいこと」はないのか。。
「やるべきこと」はそこなのか。。
「世界旅行」をして得るものはなんなのか。。
「国内にも目を見張るところ」はたくさんある。
「旅行」で「あえて冷凍カニを食べる」なら。。
「近郊」で「まともなカニ」を食べる方が「費用対効果」はある。
「旅」は目的地を持たない。
ふらふら見る景色に得るものはないのか。。
その風景は「いつでも見られる」のか。。
「いまそこ」だから味わえることを「時短」は見えなくする。
「時間に余裕ができても見えなくなる」のである。
脳が「スピード列車」に慣れてしまうと、目の前の大事なものごとが生涯見えなくなる。
決められた「旅程」以外の「旅行」に慣れると、「本当にそこに行きたかったのか」という「自分さえも見失う」ことになる。
いろいろな情報に振り回されて、そこで「やりたいことができる」と思って急いで行ってみたら「こんなもんか」と思うことの方が、実は多いけれど、「こんなもん」を認めたくないから「楽しかった」と「自分を騙すようになっていく」ことが多いものである。
そうやって「自分を騙すことがつね」になると「後回しにしてきたことの大切さ」さえも見えなくなる。
「旅」は「道端の花」がどうして「ガンガンクルマの走る中で咲けるのか」といった「美だけではないこと」をも教えてくれる。
「生命の本質」である。
「旅」はいのちや自然のあり方を教えてくれる。
もちろん、旅行であれ旅であれ、モチベーションによるけれど、少なくとも「旅程」ぐらいは、自分で組むようにし、目的地で得るものは「重要かどうか」という「思考」がなければ、少しでも多くのいのちを「削る」か「輝かせるか」という違いを生むであろう。
現代や政情において「このままではいけない」と「煽られることはない」と心配をしている。。
2020-07-20 05:17:00
脳と心と意識は、けっきょく「ニューロン」だといえますか?
脳細胞にデータがあると言えるでしょうが、ひとつの細胞にひとつのデータということかそうではないかは難しいところです。
また細胞のDNAがどうなっているかということも影響しますし、細胞にキチンと血液が流れているかと言うことにも左右されるでしょう。
そしてそのニューロンとニューロンがどのようにつながりを持つか、ということや、どの脳内ホルモンが活性化しているかということも影響します。
そういった脳の働きと周囲の環境の間で、心や意識といわれる状態が作られるといえます。
概念的には「脳」と「心(意識を含む)」を分離して、「初期(幼児)段階の脳」が「心を作り」、その「心がさらに脳を進化させる」と考えると理解しやすいと思います。
そして環境に反応している状況を感じやすいのが「心臓」なので、「心は心臓」にあると古来から考えられたのでしょう。
また「心臓」は、肉体から出る「電磁波」がもっとも強いといわれる場所ですから、人とひとが互いに「心」を感じ会うアンテナであるともいえるかもしれません。
さらに言及すれば「身体の状態」によっても「心は変化します」から、疲れていると「心がブレたり」ということがあるといえます。
こういったことをまとめると、「心(意識を含む)」は「環境と身体の総合的な状態」から作られていて、単純に「ニューロン」だけとはいえないといっていいと思いますが、
とどのつまりは「ニューロンとニューロン」が「身体や環境」などの情報から「どのような複数のデータ(DNA要素を含む)を引き出して、どのように電気やホルモン伝達をして反応をするか」ということにおさまるかということになるのかも知れませんが、脳はいずれにしろ「統括している」のであり、身体の「細胞や神経」からの情報でそのように働くという観点からいえば、
「身体や環境」も脳の一部であり、これらの総合体が「心(意識を含む)」であると言えるのではないでしょうか。
2020-07-20 01:49:00
いろんなOS‼️
Windowsに、ほかのOSを入れてもうまく動かないように設計されてる。
そういうことを知らずにAppleなんかをインストールしてもけっきょくWindowsじゃないとダメなんです。
世の中そんなもんなのに、ほかのOSに興味を持つひとが多いから、あれこれ良し悪しを言うけれど、、
Windowsの使い方をうまくするようになることの方が肝心なのです。