インフォメーション(日々更新中)
2021-12-02 14:56:00
霊…
《霊ってなんなんでしょうか?現代科学ではまだ解明出来るだけの技術が無いってだけのことですか?》
ひとことに霊と言っても様々な現象や体験や状況を指して言っているので、どの状況における霊のことを定義すれば良いか、このご質問だけでは分かりませんが、人間の心を精神と言うところからさらに深層心理を探り、さらにその根源を探っていくような心理的な思索における状態は霊性と言われます。これはスピリチュアルからソウルと言ういった英語などでも表現の違う状態が定義されるように、日常よりもさらに深い精神状態を表しています。また霊的な現象と言うことについては、心理学で解明されている内容や物理学で解明されている内容そして脳科学で解明されている内容もあり、現代科学で解明できるだけの技術は十分にあって、すでに多くの現象は科学で説明できます。ただし、冒頭に書いた霊性と言う精神状態については、人間と言うことを深く追求した内容による所のものが多いので、これは科学と言うよりも人間と言う観点から尊重して捉えていくべき内容であると思います。
2021-12-02 03:24:00
資本主義カルト!
《創価学会ってカルト宗教ですよね?辞めるのも一苦労だと聞きます。》
カルトについての定義がそもそも統一されたものであるかどうか分かりませんが、創価学会がカルトであると言うことを言う人たちも多く見られると思います。とは言え、その全盛期は確かに辞めるのも難しかったようですが、現代においては、信者さんが2代目3代目となってきているので、その辺のことは明確には存じません。
ただ、私は資本主義そのものがカルトであると思っていて、お金を神のように崇拝している人たちの集まりが資本主義カルトだと思っています。それこそ、この資本主義カルト辞めるとか抜け出すと言う事は非常に難しいことであると言わざるを得ません。
そういう意味で、特定の宗教や特定の思想信条についてのみカルトと言う表現を使うことが多いようですが、そもそも「拝金教」とも言える資本主義について、カルトであると考えることができないほど、その価値観を刷り込まれていると言わざるを得ないと思っています。
そして、この資本主義カルトは、意図的に作られたものであると言うことも知られていませんが、世の中のことをご存知の方はよく知っておられることであろうと思いますが、ヨーロッパの辺のある人たちが、人間を支配し堕落させていくためにあえて作られた堕落のシステムが資本主義カルトであると言うことなのです。
今や、およそ1700年代位から世の中を動かしてきた資本主義カルトに終焉が訪れていると言う状況でもあると言うことを多くの方はまだ認識するに至っていないように思えます。
2021-12-01 01:55:00
信じる!
《科学とは疑うことから始まるものだと言われます。宗教や人間関係は信じることから始まるものです。この2つは相容れないものですか?科学者や僧侶はどのようにその矛盾を解決していますか?》
科学と言うのは、そもそも神探しから始まっているといわれます。いろんな観点で、様々な事柄を探求することで、そこに神を見いだすことができるかどうかと言うことによって、分科学と言うところから始まっていると言う見方が本来であるといいます。そういう点で、宗教や人間関係も疑うところから入っていくと言う観点が失われる事で大きな間違いを招くことになるともいえます。つまり、信じると疑うと言う文言の定義がされないまま、信じると言う言葉や疑うと言う言葉を平気で普通に使っていることから、人間関係や宗教において大きな錯覚や誤解や間違いを生んでいるといえます。
あなたを信じていたのに裏切られた。などと言う事は、本来ありえない文言だといえます。なぜなら、その人をあなたがあなたが思うように動いてくれたり考えてくれると思うこと自体が大きな間違いだからです。
また、自分に余裕があるときは、私を信じてくれとか私を信頼したら良いと言えますが、状況が変わってきた時に、ごめん私を信じてもらったら困るねん、と言うふうに改めて言う人は意外と少ないのです。ですから、信じてくれ、信頼してくれと言われたから信じたのに裏切られたと言うような状況が起こってきます。こういう状態は、お互い様と言うひとことで終わる内容です。
ここで、やはり問題になるのが、信じると言うのはどのような状態であるかと言う定義と言うことになります。今現在天気が晴れであるか雨であるかといったことを、確認できるにもかかわらず、私は雨であると信じる、と言う人はほぼありえないでしょう。では、科学で証明されていることを確認しない、または確認するだけの学びがないにもかかわらず、科学がが正しいと信じると言う事は言えるのでしょうか。あのスタップ細胞でも、今ではハーバード大学あたりで特許がとられていると言うように実は存在したと言う出来事について、この問題が起こったとき、やっぱりそんな細胞ないんや、と思った人は、何をどう信じたのでしょうか。それが、ハーバード大学が特許を取った、と言った時点で、やっぱりあったと信じていた、と言う人がどんどん出てきていると言う事実もあります。
このような観点から、宗教においても人間関係においても同じであると言うのは、そこに五感で感じ取る以上のものを感じ取ろうとするか、単に五感で感じ取られると思われる事柄についてのみ信じて生きていく、と言うような生き方を選択するかといったことであると言えるでしょう。
いくら信用していても、期待が外れた、裏切られた、と言うようなことを言うのではなく、私はその時その人を信用した、けれど状況や何らかの事柄が変化したために、期待通りの事柄が進まなかった、と言うだけのことだと思うことこそが的確であると言えましょう。
宗教についても、宗教が本当に科学と全く異なることを言っているのか、そうではなくさらに深い思索のもとに成り立っているのかと言う事はその宗教ごとにも違うと言えると思いますし、その何らかの宗教に関わっていない状態で、その真偽や良し悪しを語ると言うこと自体が、非科学的、ないしは非論理的であると言えるのではないでしょうか。
相対性理論に何が教えられているのか、その理論を通してどういったテクノロジーが開発されているのかといったことをきちんと理解もしていない中で、アインシュタインは凄いからと言うだけの理由で、相対性理論を科学として価値が高いと思うことも、非科学的、非論理的であると言えると思うのです。
世界は、キリスト教を中心に大きく動いているのに、宗教を否定する日本人が、世界で動いている事柄について正しく理解できていないというのが現実であるといえます。つまり、日常的に宗教を否定している日本人は、大きな誤解や錯覚の中で生きていると言わざるを得ないと言えるでしょう。
世界は、普通に当たり前に宗教に説かれている事柄を、人間以上の思索であったり智恵であったり、人間を超えたものだと理解しながら、聖書に基づいて生きているというのが標準的なあり方であるといえます。まさに、今起こっている世界の出来事は、全てバイブルに基づいている流れであると言うことをよくわかっていないのが日本人であるといえます。
2021-12-01 01:00:00
不安をもつ人に!
《不安な人を安心させる言葉は、どのようにして創造されますか?》
人の心の動きには、その人の特有のパターンがあるものです。それが、精神分析によって明確になるとは必ずしも言えません。不安を訴えることで喜びを感じている人もいれば、不安を共有してほしいと言った依存に基づく人もいます。こういったケースの場合、不安と言うことが必ずしもその人にとってマイナスの状態であるとは言えないことも意外にあるものです。不安と言うことをコミュニケーションのきっかけにしたり、その不安に対しての関わりそのものをコミュニケーションと思っている人もいるものです。このように人によって心の動きのパターンは多様性を持っていてそれが何らかの分析によって明確になるとは言えないものです。また、心理分析には、分析者の主観が入るので、専門家であっても同じ結論に至ると言うわけにはいかないものです。つまり、人間の心の動きには、コンピューターのようにプログラミングによって作られるものと、それを超えて、DNAに刻み込まれているものなど複雑な要因が混在しているので、簡単に理解する事は難しいといえます。そして、不安な人が必ずしも安心を求めていないと言う潜在的な気持ちを持っていながら、本人はそれを認めないと言っためんどくさい生き物が人間であるともいえます。
よくあるこのようなパターンでいくと、子供の心理的問題に親が取り組んでいる時、子供の問題が解決することで親は子供から離れなければならないと言う潜在的な思いから、問題を解決したいと言いつつ、心の底では解決したら寂しくなるといった気持ちが並行している場合などが顕著な例だといえます。
つまり、解決して良い問題と、解決しない方が良いと言う問題と大きく分けてこの両者が平行しているというのがほとんどの人の潜在意識にあるといえます。そういう意味で、私は鬱に苦しんでいます、と言いながらも、鬱だからこの状態で認めてもらえると言ったアンビバレンツな気持ちを抱く事は誰にとってもあることだといえます。また、もう仕事が忙しくて大変だと言いながら、その大変がなくなってしまうと空虚な状態になるであろうことを、実は潜在意識で認識している、と言うようなことも同じパターンであると言えるでしょう。しかし、それがどういう時にそのような心理状態になるかは人それぞれの複雑なパターン構成によって成り立っているので、一様にそうであると言う事はできません。
以上のような観点から不安と言うことについて考えてみると、不安が=安心であると言う人も実は意外に多い、と言うことがいえるのです。
多くの人において、自ら不安だと言うことを表現される場合、自分がどういう心理状態にあるかと言うことを実は潜在的にわかっていると言うケースが意外に多いものです。つまり、どうすればそれが解消されるかと言うことも同時に知っているけれど、それを解消したときに起こってくる別のマイナス要因を並行してわかっていると言うケースはあまり表にはされませんが非常に多い事例だといえます。
カウンセリングや心療内科などに相談に来る人は、実はカウンセラーやドクター以上にその問題についてよく知っていて、はじめに、カウンセラーやドクターの実力を試すような訴えをしてくることが意外に多く、また、そういう相談者は、カウンセラーやドクターと心理戦を始め、結果、そういう相談者の方が心理戦に勝ってしまうと言うことがあるものです。
こういった事例から、私がもし誰かから不安をなんとかして欲しいと言われたら、そんなん知らんと、ひとこと言うだけで終わらせてしまいます。この時点で、多くの場合心理戦に勝つという立場ができあがるので、まずは相手とのパワーバランスを取ることを考え、その後に、とりあえず取り合っていいか、ただ依存されて終わりだけのめんどくさい相手なのかといったことも考えつつ、関わり方を考えていくと言う流れで、不安に関わる関係と言うものを創造していきます。
2021-11-30 10:38:00
旧約聖書から新約聖書へ
いま、3年位前からCSのFOX系ナショジオTVで、紀元前4000年前からのエジプトの宗教文明文化についての研究を紹介する番組が多く放送されています。
また同時に、ヒトラーの真実と言う内容の放送も、同じように3年位前から多くの資料映像とともに放送されています。
この「ヒトラーの真実」と言う番組を見ていれば、表向きはヒトラーの愚行を紹介していますが、その実、放送を見ていれば、ヒトラーと言う人は本当はイギリスとロスチャイルドを倒すことを目的としていて、ホロコーストだとか多くの愚行は、側近たちがやっていたと言うことと、イギリス、ロスチャイルドがこれをヒトラーの愚行という歴史にしたということが明確になっています。
ヒトラーの幼少期からの性格形成を紹介したシリーズ(ヒトラーのセックスライフ)においては、ヒトラーは「演説以外はただの人だった」といった紹介がされています。
この番組によって言いたい事は、ヒトラーと言う人は、イギリスとバチカンが諸悪の根源であるということを問題にしていると言うメッセージで、結局負けてしまったヒトラーは、イギリスとバチカンによって大悪人にされてしまったと言う事であると考えられます。
それよりも、スターリンだとか毛沢東だとかそういった人たちの方がよほど、無意味な虐殺者だったと言うことも明確になってきます。
またナショジオTVで、紀元前4000年前からのエジプトの宗教にまつわる歴史を紹介しているのは、旧約聖書に至るプロセスを紹介していて、なぜ旧約聖書があのような内容になったのかと言う根拠を紹介しています。
このFOXとナショジオTVと言うのは、トランプさんの影響力が強い放送局ですが、これらの放送が意味しているところは、いま、世界が旧約聖書から新約聖書へと移行していると言うことと、イギリスとバチカンの勢力はもはやなくなったと言う事であると一言で言えると思います。
これが、トランプさんと、メリケルさんが裏でつながっていると言う理由になります。
トランプさんは、熱心な福音ルーテル教会の信者さんであり、だからこそ今、旧約聖書の時代(ユダヤ)から新約聖書の時代へと時代を変化させていると言われています。
それがなぜメリケルさんと繋がるのかと言うことの1つの大きな理由が、福音派ルーテル教会、つまり「ルターのプロテスタントはドイツが発祥」であると言うことが根源的にあるわけです。
そして、メリケルさんはヒトラーの娘であるということは重要なポイントになります。
そもそも、2017年にイスラエルの首都をエルサレムだと決定して、2000年かかった問題を一気に解決させて、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教をイスラエルにおいて1つにまとめるという偉業をされました。
そこでイスラエルにおいては、トランプさんは旧約聖書に出てくるダニエルと言う預言者と同じであると言われているのです。
このように今世界で起こっている事は、旧約聖書から新約聖書への歴史の移行であり、それが、トランプとメリケルというひとが主体になっている理由です。
このように世界的な宗教、紀元前4000年前位からの話から今日に至るまでの話を紹介しているナショジオTVにおいて、いかに日本の宗教者の観点が狭くて小さいかと言うことを感じざるを得ないのと同時に、日本人がいかに世界の宗教に無知で今何が起ころうとしているのかと言うことも宗教と関係なく考えていると言う事の浅はかさを知らされる内容になっていると思います。
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