インフォメーション(日々更新中)
2021-12-06 00:42:00
宿屋。
《旅路より》
今日は、港街にポツンとある「宿屋」に泊まっています。
もうクルマで寝起きはしんどいので探していたら、やってるのかどうなのかわからないような宿屋がありました。
オモテでおばちゃんが、魚を運んでいたので、「ここってやってますかね」って聞いたら、「なんか用かい」というので、「やってたら泊まりたいんですけどね」っていいました。
そしたら「どうぞやってるよ」っていうので、「おばちゃんっておかみさん?」って聞いたら、「おかしいかい」っていわれたので、「イヤイヤそういう意味じゃないけど…」っていう感じで、とりあえず「おいくらですか?」って聞いたら、「食事はいるかい」っていわれたので、「できたらこの辺の美味しい魚が食べられたら嬉しいです」って返したんです。(高いだろうなぁって思いながらも)
するとおばちゃん、イヤイヤおかみさんが、「この辺のもんはいつも美味しい魚ばっか食べてるよ」って…
「そうですか」っていいつつ、いくらなんだろうって、残金がほとんど無くなってたし…
「じゃあ1泊5,000円」って言われて、「えっそれって税金と夕食付きで?」っていうと、「そうだよ」っていうから、じゃあお願いしますって即決したんです。
周辺には、コンビニもないし、ビール飲んでも1万ぐらいで済むだろうなって思いつつ…
中に入ると普通にいい和室の部屋で、ほっとしました。
美味しいご馳走に、風呂もゆったり入って、さっきじつはある約束をして、おやすみしました。
「おばちゃん!」「なんか手伝うことないかなぁ」って聞いたんです。
「じつはオンボログルマの貧乏旅なんで、1週間ぐらいお手伝いして、いくらかいただけると嬉しいねんけど」っていったんです。
おかみさんが、「ハハ、まじめにいってるのかい!」っていうから「もちろんです」っていうと、「見ての通りお客はほとんどいないし…」って言いかけて、私の気持ちを見抜いたように「いいよ」って。。
「人生に疲れたおっさんが何かを求めてきたんだろうな」って見抜かれた感じで、「まぁやってもらうことはいくらでもあるしね」って。。
私は「オヤジさんは大丈夫ですか?」って、まだ見ぬオヤジさんは「ダメ」っていうんじゃないかなぁって思ったから聞いたんです。
おかみさんは「オヤジさんって誰のこと?」っていうから、「ご主人のことです」といったら、「そんなひと今日見たかい」っていうので、「いえいえ」っていうたら、「じゃあ明日は適当に起きてきな!」って…
いましがた、おやすみをしました。
明日はどうなるんだろうかって思いつつ、床に着きます。
〈新里からみなさんへ〉
東京の真ん中に住んでて、
今日、1.8年ぶりくらいに、
人を見ました😂✨
2021-12-04 23:45:00
潮の香り。
《旅路より》
今日は、港の街で目覚めました。
寒いけど、潮の香りがとても良かったです。
鳥取生まれだから、とても懐かしいですね。
鳥取の砂丘ではよく遊んだので、潮の香りが懐かしくて、
今日も書いてしまいました。
干しカレイや昆布を干している風景を思い出しながら、
ただ海を見ています。
さっき漁師さんと話したら、いまはもう魚が取れないと嘆いておられれて、日本の漁業は難しいって聞きました。
あんまり遠洋に出ると捕まるから怖いっていうこともあるらしいです。
さて、今日は古くからの友人のFBに、寺院の資産が負の資産になるっていうことが書いてあったので、とりあえずコメントしたので、書いときますけど、最近詐欺坊主が本願寺派やお東(真宗本廟)にウヨウヨしてて、不安を煽って、ビジネスを仕掛けてきています。
みなさんにも注意していただくように、ここは書いておいてくださいね。
今後、日本は来年あたりには産みの苦しみがあるけど、絶対に、今後は今より良くなるってことも書いておいてください。理由やどうなるかなんてめんどくさいことは書かなくていいでしょう。
それじゃあまた!
というメッセージが参りました。
私は日本や世界の今後について、詳しいことは中神さんに聞いています。
また、私の住むところは東京の真ん中なので、中神さんがいうように中央が動いているのもわかるんです。
けれど、中神さんに代わってお寺のことはよく知らないので、私の文章では書けません。
ですから、中神さんからの文章をそのまま載せさせていただきました。(N)
2021-12-04 08:08:00
安心。
《安心させる言葉には、どういう特徴がありますか?》
たぶん私が思う「安心」させるという状態のハードルが高いのかも知れません。なにか悩んでいる人が、占いでいい結果をサゼスションされて安心するといった気休め的な安心は、私においては、安心してもらえたということにはなりません。もっと幅が広く、深い内容で、その人にとってその言葉が永続的な意味を持つ言葉でなければ「安心させられた」ということになるという前提があるんです。
そういう意味で前回の「安心をしてもらう言葉の創造のプロセス」を書かせていただきましたが、内容的には相手とのパワーバランスを取るというところから始まるという、一見すると「なにを言ってるんだ」というようなことを書いていますが、これはこれで真実なんです。アドラー心理学のあまり言われていない中に、「人間関係はパワーバランスからモチベーションが生まれる」といった内容があるようですが、なにを言っても「この人がいうから聞く」ということがあるものです。ですからそういう関係性がないのに「なにを言っても無駄」ということは普通にあるんです。
また、NLPなんかで言われているように、ひとは「言葉の内容」以上に、相手の見た目、言い方などの表現方法によって、同じ言葉でも効果の有無が出てくるものです。
同じことを言っても、肩書きに左右されることが普通にあるから、講演でも「大学教授」なら納得するけれど、全く同じ講演内容でも「若い兄ちゃん」では納得しないということは普通にあります。
なので、「安心させる言葉」という以上に「安心させ得る言葉を言える人間関係を作ることがまずは第一」かと思うのです。「なんかこの人は私を心配してくれている」と思ってもらえる関係を作った上において、はじめて「言葉が力を持つ」と言えるのだと思うのです。不安にさせる言葉はそこまでの必要はありませんが…
2021-12-04 04:12:00
旋律。
《録音》
どうしようもなく人間をやめたい時…
どうしようもなくここにいたくない時…
どうしようもなくひとと関わりたくない時…
そこまで人生に疲れた時…
どうしても疲れが取れない時…
疲れに押し潰されそうな時…
なにを言われてもどうにも気持ちがおさまらないとき…
なぐさめも涙も同情があっても気持ちがおさまらないとき…
そばにいてもらっても気持ちがおさまらないとき…
泣いても意味がないと思う時…
泣きたくても泣けない時…
泣くことが情けない時…
ひとはおさまりがつくような旋律を探すものなのです。
2021-12-04 04:02:00
自己。
《録音》
仏陀は仏教徒ではないのです。
キリストもキリスト教徒ではないのです。
私は私以外の何者でもないのです。
だからといって私は自我でも中神でも章生でもないのです。
なぜかこの時代のこの時にはここに生まれたいのちなのです。そこで輝くしかない植物のようなものなのです。
いのちはでっかいところで小さく生きていてもでっかいところに生まれたのです。
そのいのちは自然に生きる植物のようにそこにあるいる理由を果たすしかないのです。
その理由は考えなくても自然に生きることでわかってくるものなのです。
それがこの私という自己を知ることであり自己が社会や愚かな思想や信条に侵されることがないもっとも本来的な生き方を生きることなのです。

