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2021-09-06 00:02:00

世界の分かれ目‼️

いままで陰謀論などを見ていた方は、世界や資本主義を動かしてきたのが、ロスチャイルド財閥(銀行)だと思っておられた方が多いと思います。

 

しかし、実はそのロスチャイルドもアタマが上がらない相手がいました。

 

それが中国なのだそうです。

その理由も明確なのですが、記述は控えます。

 

さて、いまや中国がどう動くのか、尖閣諸島あたりでは、実戦が行われているようですし、台湾独立の問題もあります。

 

そして日本の内閣はどうなるか。。

 

日本にもゴールドマン・サックス銀行(イスラエル)ができるようです。。

日本人にとって大きな分かれ目が来るでしょう!

2021-09-04 21:15:00

ありのままの静寂‼️

なんだか最近、あっちを見てもこっちを見ても、「成功するにはどうすればいいか」とか「どう生きたらいいか」といった、人生そのものについての法則めいたことが書かれていたり、、

 

わたしも書きますが、「これからどうなるか」といったことを知りたがって、あれこれと書かれているように思います。

 

たとえば「成功」ってどういう状態だと定義しているのでしょう。

およそ資本主義では「お金に困らない」ということなのでしょうか。。

だとしたら、日本は「生活保護」までしてくれる国なので、そこは問題ないと思います。

 

「セレブになる」ということなら、わたしは一時期「セレブ」だったと言えると思いますが、いいクルマもブランド品も、近づいてくる人も意味をなさないことがよくわかります。

 

とくにそういう時の人間関係は、ほんとうにアホらしいものです。

腹の探り合いだったり、まぁ結局やはりお金目的で寄ってくる人ばかりですから。。

 

お金があれば「夢を叶えられる」というけれど、お金で買える夢なんて、大したものではないでしょう。

「お金で夢を叶えたら」それがわかるでしょう。

 

お金持ちだという人がなんでアクセク走り回っているのかとも思います。

 

いまわたしは、コロナでほとんどお金がない状態です。

けれど、まことに「立って半畳寝て一畳」の意味がよくわかります。

それで充分なんです。

わたしはコロナの前に、いろんなものを処分して、六畳一間に収まる範囲のものしかありません。

生きるのにはそれでも不要なものがあるぐらい、シンプルに生きたら、収入に見合う生活をしていれば、けっこうイケテます。

 

時間もたっぷりあります。

お金に追われることもありません。

こういう投稿を望む良き同朋がいるからパチパチ書いていますけど、思いつかない時は書きませんから自由です。

 

ゆっくり気楽に生きています。

「今日はマジでご飯1飯だけ」でお汁もおかずもない日もありますが、わざわざ買いに行こうとも思いません。

 

人恋しいときは、良き親友や友がいます。

 

さとりは寂静(じゃくじょう)なのだなぁと思います。

反対にしたら「静寂」になります。

わたしがさとったと言いたいのではないのです。

とはいえ、なんとなくわかるのです。

 

テレビを見なくなって、、

「音も静かで、時間に余裕を持てて、急ぐ必要を作らない」

そういう寂静、伝えたいことが浮かんだらパチパチと書く。。

 

穏やかで、大地が寝床、大空が屋根、なんて思うと、いのちがありのまま流れていくのを感じます。

 

なんの目的もない、ただ与えられている生命が呼吸をしている。

そういうあり方にいると「神」レベルの宇宙の偉大さを感じるものなのです。

 

この文章やこの状態に不自然はないのです。

2021-09-03 20:08:00

追う人生、追われる人生‼️

誰かから逃げて「追われている」ように、「時間、ローン、するべき仕事、家庭内のこと、その他」多くの方はこういったことに追われているのではないでしょうか?

 

「追われる人生」は本当にストレスが多いものです。

 

大学を出て40歳ぐらいまで学資ローンの返済に追われ、40歳ぐらいから、マイホームローンに追われて、生涯を追われて終わるという人生は空しいものでしょう。

 

それよりも、周囲から「アホだ」と言われても、「夢を追う人生」の方がストレスが少ないことや、なかなか夢に到達しなくてもその途中で得るものを得たときの達成感は脳内ホルモンがドーパミンなどを出すので、「免疫力が強く」なります。

 

そういう点で「創業社長」は病気をしてる暇もない、というほど元気です。

 

ある創業社長は、「60歳ぐらいに落ち着ける創業がちょうどいい」といっていましたが、常に夢を追うという意味でしょう。

 

やはり「追われる人生」から「追う人生」を生きた方が良いものなのでしょう。

 

走るのでも、追う方が、追われる方よりストレス量は全く違うと聞きます。

 

たとえあなたの仕事が、サラリーマンで「会社の仕事に追われている」としても、それを「追う夢に向かう」ためというベクトルに置き換えられるでしょう。

 

バカだと言われても「将来小さな店を出す」というような気持ちで、コツコツ貯める給料が安くても「10円」でも貯める。。

 

そうして「わたしは退職したら〇〇の店を出すねん」と口にする。。

すると気持ちが変わってくるから、気持ちの方向性とチカラが変わってくる(マインドセット)。。

 

そんな僅かな貯金ごときでと思う必要なはないのです。

そうしているとある時「ナビゲーター」が現れたり、お資金の工面がつくようになったりするものです。

 

ただ、「ナビゲーター」や「コンサルタント」でもそれをビジネスにしている人とは関わるのをやめましょう。

 

とにかく「奇遇ですね同じことを考えているんです」という場合も気をつけましょう。

そういった「勘違いシンクロニシティの集まり」ではなにも成り立たないのです。

 

夢を追う意味で「人脈や人間関係は大事」ですから、半年ぐらいは普通に友達的にお付き合いして、判断することです。

「怪しい」と思ったら、勘を信じてください。

 

そして今勤めている会社がお客さんになるかもしれませんから、社内でのことも「夢のうち」だと思うようにしましょう。

 

まずは「なにをしたいかという夢」を描いて見られると良いと思うのです。

2021-09-03 00:44:00

論が立つのか?

「論が立つかどうか」

わたしは、ものごとを認知する時に、この基準をよく用います。

 

たとえばワクチンを打てば大丈夫!

 

という思考について、ワクチンを打っても、「ウソだとしても複数のコロナ株があるという場合」、さらに株が生まれる可能性も考えれば、「今のワクチンを打っただけで大丈夫とは言えない」という論が立ちます。

 

コロナで死んだ人がいる。

 

という情報があっても、どういう人がどういう処置を受けて亡くなったかということが明確でない以上、論が立ちません。

 

このように論が立つかどうかということで、どうすべきかを考えます。

 

また「統計」というような、いつ、どこで、どういうひとを対象に、どういう仕方で取られた統計かということが明確でない以上信用に値しません。

 

つまり推論する場合にも、複数の事柄(証拠)から結論を導く「演繹法」による方が良いのか。。

 

また、ある結論的仮定や事実に基づいて「証拠」を集めていくような「帰納法」による方が良いのかということも考えます。

 

たとえば「誰かが怒っている」という場合にその理由がどこにあるのか推論するときにこの帰納法は有効です。

「わたしが怒らせることをしたのか」「何かの八つ当たりか」「世の中や会社などへの不満のエネルギーをいい易いわたしぶつけているのか」といった論が立ちます。

 

そしてその中で妥当だと思われるものを採用して、その怒っているひとを理解します。

 

いずれにせよ、どういったことにせよ、より「論としての整合性が高い」ときに、その論に基づいて、どうすべきかという判断をします。

 

そもそも、コロナはイギリスとフランス(ソロス財団)が持っている武漢のウイルス研究所で意図的に作られて、撒かれたというのは、限りなく100%といっていい証拠データがあります。

 

このようにこれが意図的に撒かれたウイルスならば、「撒いた人が罹っても問題がないウイルス」だという論が立ちます。

 

しかし、ワクチンは「打つか打たないか」が自己判断による以上、ここに何かがあると推論することはできます。

 

そして副反応が多いというデータが出ている「ファイザー」よりも「モデルナ」が良いといっているときに「モデルナに混入物があった」という報道が出るということには、あまりにもタイミングが良すぎるという側面から、不自然さを感じるのは当然でしょう。

 

なんらかの恣意的なチカラが「ファイザー」を儲けさせようとしている。

ファイザーを打たせようとしていると推論ができます。

 

しかしこれはあくまでも推論でしかありません。

この推論を受け入れるかどうかは自己判断に寄ります。

 

わたしはこのように、論が立つかどうかということにより日常的に判断をしています。

 

こういう判断基準は「確からしさ」がどの程度正確かということは言えませんが、コロナ以外の日常的な多くの場合において有効です。

 

つまり、「振り回されたり、揺らぐことがない、パニックにならない」といった有効性があるのです。

 

ほぼ常に冷静でいられます。

 

ただ、感性を大事にする場合の邪魔になることはありますから、適度な感性を大事にすることも必要でしょう。

 

論が立たなくても受け入れる必要があることも多いものです。

2021-09-02 01:57:00

仏教がここにある‼️

キチンとした仏教を学びたい一般の人も、わからない言葉や専門用語を調べながらも以下の本を読みこなせなければ、仏教を理解しているとは言えないと思うのです。

 

「永田文昌堂」

https://www.books.gr.jp/bookstore/index.php?e=82

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