インフォメーション(日々更新中)

2020-02-14 11:29:00

不安をお持ちの方へ‼️

不安をお持ちの方へ❗️

不安の内容はいろいろあるでしょう。

もしそれが、お金や人間関係のことなら、

「自分の人生を流れに任せて見てください」

 

そのなかで「お金や人間関係」について、

「一切計らわないこと」です。

 

そうしていれば「自然にそれは整います」し、

こうしていると「信じられないようなこと」が起こるんです。

 

こういうことは「追えば逃げる」んです。

そして「ふさわしいと思うことに気持ちを向けて行動して」ください。

 

できることなら「趣味でもなんでもいいので、新しいことを始めて」ください。

 

そうしていると「自然の動きを感じるようになります」から、

あくまでも「お金や人間関係」を考えないで、「新鮮なことやすべきことにある功徳」を見てください。

 

どんなことにも功徳があります。

 

そこが現実的に感じられるようになります❣️

2020-02-14 01:33:00

友愛を知って欲しい❣️

自我を生きるひとの苦より、

「他我」を生きるひとは「もっと苦しい」

 

「わたしの思っていたあなたと違います❗️」っていう人は「他我」を生きている。

 

自己は無常無我であるように「他も無常無我」なのだから、

そこに依存しても仕方がない。

 

自我はまだコントロール効かせられるし、

「あいつが悪い」と思わなくてもいい。

 

「思っているようなわたし」には誰もなれない。。

 

「他我」に任せて生きているなら、

「自我」を滅するしかない。

 

任せた他我がどうなるかに委ねるしかない。

つまり「一度死ぬ」ことしかない。。

 

「自我を滅して、他我に生きよ❗️」

そのうえで「どうなろうと仕方がない」ではないか‼️

 

だから「わたし」を「前念命終」して、「後念即生」するしかないのである。

 

「前念命終」しただけなら、「中陰(中有)にいる」ということである。

「半端な状態にいる」ということであるから、

早く急ぎて「後念即生」した方がいい‼️

 

「他我」ではなく「利他力」の中にあることを、急いで知ることだ‼️

 

「友愛」を感じないならば、早く「友愛に目覚めて」欲しい❣️

2020-02-12 22:04:00

会話から生まれる智慧❣️

「わたしが仕事終わって家に帰ると、嫁が《愚痴のマシンガントーク》を始めよりますねん」なんてよくある話し。

「うちのダンナはわたしの話を聞いてくれへんのんです」これも。。

 

これって互いに「相手の話を《どーでもいい話し》や《いつものこと》とおもっているからだろう。

 

けれど、キチンと向き合うと、この「ルーティン」から「智慧」が生まれてきて、お互いが《止揚される》ことに気づいたら、夫婦の会話が楽しいものになるんだけど。。

 

わたしが毎日のようにこんなのを書いているのは、「そういう会話から生まれてきた内容」がほとんどなのです。

 

つまり「いま会話から生まれたばかりのホットな話がほとんど」です。

 

どうぞこういった楽しみを「パートナーと一緒」に始めて見られることをお勧めいたします❣️

2020-02-12 06:10:00

仏教を実践して解放されて生きる学習会‼️

昨年より「とある宗教団体」について研究をしている。

これは、初代教祖の時代には、「完全な宗教団体」だったが、2代目に「スーパーレリジョン(超宗教)」として「初期仏教教団」のような形式で、「仏教」を基本として「ニュータイプの精神的な教え」を実践している。

 

既成仏教だと「礼拝」といえば「何かに向かって拝むこと」であるが、

この団体では「対象物」がないので、「インドの合掌」と同じである。

宗教のような読経などの行事はない。

 

そして「止観」を行じるけれど「紙に様々な項目を書き上げる」というものである。

その「書かれた内容を指導者がチェックして日常の生活の中で、どのように実践をするか指導を受けて、ランクアップしていく」という方法である。

 

つまり「学んだ智慧」を日常に活かすという「実践結果」まで書いていくので、「学行が一致する方法」となる。

 

この団体は、「多くの若者や知識人で構成されているが、宗教団体という匂いはない」。。

つまり「お釈迦さんの時代はこんな感じだったんだろうなぁ」という「智慧の論を学んで、慈悲に向かう実践法を行じる」というだけである。

 

宗教というより「セミナー」のようであるが、これは数千人の規模から、各地域での「学習実践会」のような数人規模まであって、規模による費用が「適正価格」なので参加しやすく、実践しやすいように工夫されている。

(ちなみに「実践倫理」ではない)

 

わたしも「ここの方法を取り入れて《学習実践会》を計画してみたい。

 

ーーー

 

1、テーマ

《仏教の智慧と慈悲を学んで、解放されて生きる》

2、日時

応相談(2〜4時間)

3、参加人数  2名様以上

4、費用ひとり 2,000円

  (開催時間に関係なく、県外は交通費を+2,000円とします)

5、場所 1日で往復できる範囲(草津市から1時間半〜2時間ぐらいまで)

             (自宅や施設でも可能)

 

ーーー

 

わたしなりに「この団体研究から学んだ方法」で、「内容もわたしなりに作成したプログラムで、仏教を実践して体得する」ということを進めていきたいと思っています。

 

ご希望の方は「メッセ」か「09077650987」にお電話いただき「ホームページで見た」とおっしゃってください‼️

2020-02-11 00:51:00

現代抽象論的説明‼️

【試作的説明法】

 

論理的に「仏教論理」でいうと、

「神(God)」は「絶対」にならない。

なぜなら、「神と人間」という対極が存在する以上、

「相対する」からである。

 

しかし「西洋的論理」でいうと、この「仏教論理」は、

「命題や前提」によっており、

「絶対」を「相対する存在を認めない」という「前提定義して」語られるものであり、「前提定義」を変えると成り立たないといえる。

 

つまり「絶対」の英語は、じつは「Absolute」であって「解き放たれた」という意味になる。

これを「前提定義」としたなら、「神(God)」が「解き放ったかどうか」であって、「相対するかどうか」ではない。

 

これを前提にしたなら「仏教の絶対」は「完全一致」しない。

 

ここで理解いただきたいのは、

《じつは「世界観」が違うのに、同じ日本語で定義しても意味がない》ということである。

 

英語圏で、「仏は絶対」と英訳するなら、Buddha is absolute.になって、

「仏=解き放たれた状態である」と理解されても仕方がない。

 

そして次に「何を」ということを「問われる」であろう。

英語圏で「神の絶対性を語るなら」→God is absolute for humans.

「神は人間にとって絶対である」という英語になるだろうからである。

 

仏は、なにを解き放ったのか?

「人間そのもの」ではないであろう。

「煩悩を」でもないであろう。

 

つまり、仏は「なにかを」解き放つのではない。

「目的語」では語れないのである。

 

Humans are released from anguish.←これは、

「人間は煩悩から解き放たれた」という日本語を英訳した文章であるが、

「主語、述語関係」でいうと「人間は解き放たれた」になってしまうので、

 

「仏は、解き放つ主語にはなれない」といえる。

つまり「英語圏で仏を絶対と語るなら、《仏=絶対》となって、結論そのものになる」のである。

 

ここが「重要」であるが、

「仏は解き放たれた状態」を意味するので、

 

「人間は(煩悩から)解き放たれた」=「仏」となるので、

この方が「本来的意味の成仏に符号する」のである。

 

カッコの部分に「自我」や「他我」を入れてもいい。

 

ここで「わたしは〇〇仏を信じています」という文章をはめるとするなら、

「人間」の部分に「わたし」を入れて、

「信じる」の部分に「解き放たれた」を入れると、

 

「わたしは(〇〇仏に)解き放たれた」となるので、

「わたしの自我と共に〇〇仏も解き放たれた」という論がたち、

「わたしも〇〇仏も滅する」ことを意味する。

 

つまり「仏教でいう《仏=無為法》であるから」これで本来的意味の成仏に符号する。

 

このように「現代的な論法とほぼ国際語」を使って論じてみると、

より明確であるけれど、

 

あなたが「仏教行者」であるということは、

「このような状態にある」という「絶対的な世界観を生きていること」が、

「仏教行者であることを意味する」と結論づけられる。

 

この場合「このような世界観を生きていない」ならば「仏教行者ではない」ということを定義づけることにもなるだろう‼️