インフォメーション(日々更新中)

2020-03-09 07:56:00

ルールに守ってもらっていませんか?

昨日知人と話をしていた。

40代の女性である。

そのひとは滋賀のひとであるが、大学は東京であった。

 

その人いわく。

「わたしが学生の頃は、新宿なんかで、男の人に声をかけられたり、就職後イヤな上司に誘われたり(いまでいうセクハラめいたことを言われたり)したけれど、こういったことを流したり、かわしたりする知恵を駆使していました。けど今はすべてルール(〇〇ハラスメントを含め)や親が守るから、だんだん知恵が育たなくなってる気がします」

と。。

 

わたしも同感である。

「暴行にしても、《痛くも痒くもないチョット軽く服に触れる程度でパンチを出しても、された方が大袈裟に「暴行された」といえば》暴行になる時代」である。

 

ルールに守ってもらうことに慣れてしまうと「知恵が育たない以上に、今後の時代の変化に適応できなくなる」だろう。

 

ルールに守ってもらっていなかった時代は「日常に《どう攻略するか》というゲーム的なおもしろさもあった」。。

いまは「ネットゲームにしかそれはない」のだろう。

 

けれど、ルール以前に「自分で考える知恵」を磨く方が良いと思う。

日常が楽しくなる。

最悪なのは、ルールはある時「変えられてしまう可能性が高く、そうなるとパニックになるだろう」からである。

 

みなさんで知恵を磨こう❗️

2020-03-07 01:39:00

親の十字架‼️

上司が部下と会社のなかですれ違った。

上司は部下に「なんで挨拶しないんだ!」と叱った。

部下は「考え事をしていました。」という。

 

上司は「考え事をしていようが、上司とすれ違ったら挨拶をしないと、これがお客様ならどうするんだ!」とまた叱る。

 

これが「儒教」である。

「挨拶されて当たり前と思っているのに、挨拶しないことを不快に思っている」「そしてそれをお客様にすり替えて叱る」というアホな常識とテクニックにあぐらをかいている。

 

このような上司は「無能」なのだ。

こういう時、すれ違った部下に「どうしたんだ思いつめた表情をしているね❣️」と上司がいう。

 

そして部下が「考え事をしていまして。。」といったら、上司は「何かあればいつでも言ってきなさいね❣️」といえば、

部下は「信用する」であろう。

 

このような上司がいれば「人材育成」が自然にされる。

儒教上司は「部下を潰すだけ」なのだ。

 

こんなことは「親孝行」ということにもいえる。

「親は生涯子どもを案じる十字架を背負っていて、親孝行を期待してはならない」というのが鉄則である。

 

「親孝行をしてる余裕がないほど子どもは生きることに必死なんだ」と思うのがトーゼンであろう。

 

なんせ「愚かな上司に仕えている人がほとんど」なのだから‼️

2020-03-06 18:43:00

恐慌になっても❣️

オリンピック問題から「セーフティネット」の貸し倒れ❗️

預金回収殺到、衆議院解散総選挙、ハッキングによる各所の機能不全などなど。。

 

どうぞ慌てられませんように、その時のために準備はしてあります。

 

たとえ恐慌のようになろうとも、最悪どうにでもなるように、

友人とシステムを作っています。

 

というか友人が作っているものに関係しているという方が正確です😁

 

またわたしも「独自の生き方」を提供できます❣️

 

円が紙切れになっても、銀行がハッキングされても問題ありません。

 

どうぞ慌てないように、脳がパニックになることは最悪ですから❣️

2020-03-05 20:27:00

パニックは避けるべし‼️

今月のほとんどの仕事が「中止になった」けれど、

いい加減日本人は「国家への愚痴」や「パニック」になるのを見直す方が良い。

 

たとえ「銀行がどうなろうとも」国家はなにかしてくれる。

これだけ「時代が変わった」のに、トイレットペーパーを買いあさる必要もない。

 

なにが起こっても「恐れる必要はない」成り行きを静観せよ!

トイレットペーパーはご近所で借りたらいい。

 

コンビニのトイレかどこか行けばいい。

手で拭いて「シャワーで流せばいい」から。

 

野生に戻ろう❗️

 

「日本人が強くなる、文明に頼らない」

「平成生まれが昭和を知る」

 

いい機会である。

 

なにがあってもパニックは最悪である。

「冷静であれ‼️」

2020-03-05 03:13:00

経営努力‼️

アメリカで資本家は「何のために起業するのか」。。

もちろんその業を成長させるためということもある。

 

ただ「大きく違う」のは、その会社を成長させて「高く売る」、

または「経営が下手なためにうまくいっていない会社を合併させて巨大化して売る」といったことを繰り返して、

自己の資本を増やすのである。

 

ただしこれが日本でうまくいかないのは「解雇しにくいルールの縛り」があるからである。

「経営改善」には「解雇もやむおえない」こともある。

しかし日本ではそれが「ペナルティ」になるのである。

 

わたしはこのことを問題にしているのではない。

 

アメリカは採用までの教育の土台がそもそも違っていて、このことが前提だから、

子どもの教育内容がまったく違う。

 

日本において、なぜ国力が弱まっているのか。

それは教育や「職場での人材育成」ができていないという観点を重視しないということをここで問いたいのである。

 

「解雇の前に育成がまったくない」「育成はどこぞのくだらない研修任せ」にしているというのは、

経営陣が「教育育成」できないということである。

 

昨日書いたような「店長が悩む」という状況は、店長を教育育成できていないという企業のレベルが知れてしまう。

あのような状態の会社を買いたいという投資家は、アメリカにもいないであろう。

 

企業が自社がアメリカの投資家に売れるかどうかを基準に「経営努力」をすることが望まれる。

 

コロナ倒産を防ぐ、セーフティネットが貸し倒れにならないように、経営支援をする「銀行や商工会議所」などの職員自体がそのような判断力を持たなければ成長はないだろう。

 

もし日本がこのままの流れで経済危機になったとしても、慌てなくても日本国家は対応をする体制を持っているが、

このような状態で「不要なパニック」にならないように、人材育成は急務であると思う。

 

念のために「日本国家の良さ」は「解雇しにくいルールで雇用は守られており、会社の倒産も守られていること」である。

経営者がそこに甘んじたら終わるだろうけれど、「経営者がそういうセーフティな情報」に敏感になって、

その支えの中で、「企業努力」そのカナメは人材育成だと理解して、「システム(仕組み)とヒューマン」を構築し推進していくことである。

 

これは宗教教団にもいえることであろう。