インフォメーション(日々更新中)

2020-02-26 03:25:00

平和な日本‼️

 世界標準はこんな感じ❗️

観光では見えないこと。。

https://afrc.mnd.gov.tw/AFRCWeb/

https://afrc.mnd.gov.tw/faith_martyr_jp/Content.aspx?ID=&MenuID=497&MP=26B0501A2-49CF-4934-9D14-BE1D09D07B27.png

2020-02-26 01:27:00

病気体質のアホな生命体‼️

わたしは、じつは生まれつき「喘息やアトピー」があって、

団体行動が苦手で、「アスペルガー的」で、変わり者で、

 

中学生の頃には、「人間」ってなんなのか?

「わたし」ってなんなのか?

 

「多数決」が正しいとも思えず、「数字」で人の能力を判断するのも納得いかず。

 

学校の授業は「100%」指示せず、勝手に自分の興味ある学び(主に読書)をして、わざとテストで名前までテキトーに書いて出して、0点取って、先生の反応を見たり、

 

人間的に魅力的な先生には「100点取る宣言」したり、

 

授業中に漫画を見てるフリをして「歎異抄」をバレるように読んでいて先生の反応を見たり。。と。。

 

こういった「ウラを見る」ということを小学校からやっていて、

「手品、マジック」のタネを探したり、「心霊現象」のトリックを探したり、

 

「何かにつけてなぜだろう」という「理由や背景」を見てきました。

 

「生病死」についても考え、「老は問題じゃなかった」けれど、、

生まれつきの「喘息やアトピー(アレルギー反応)」がなぜ起こるかなどの理由も探求して、中国医学を学んでみたりしました。

 

高卒後「中国の医学院(中医学院大学)」に行くことが決まっていたけれど、

まだ、「バリバリ人民服」の時代で、行くことが決まってから「学費について高額な費用」(月30万円)を求めてきたので、諦めましたが、

 

わたしは「儲け材料」だったのかと「ウラ側(理由と背景)から納得」しました。

 

けっきょくその後「太極拳や気功(まだ日本に広まっていなかった時代)」「心理学(催眠心理学を含む)」「東洋医学+αの西洋医学」「整体術」「宗教学」などを転々と東京と京都で学びつつバイトをしました。

 

それまでに読んだ「本の著者」(5人ぐらいだったと思います)に押しかけて学んだのです。

「東洋医学」は日本にいた中国人から学びましたから、中国語もこの頃学んだんです。

 

はじめての正就職は「京都の呉服問屋」でしたが、その頃には「親鸞さん」をきっかけに、「僧侶になる」と決めて、数ヶ月で辞めて「得度」をしました。

 

そしてなんだか分からないうちに「西念寺」に入寺しましたが、そこからは徹底的に仏教を学び、実践するという生き方を選んできたのです。

 

そして「社会現象の背景や理由」を求めて、自らの使命のようなものを実践しています。

 

なんでいまこういうことを書いてるのかわかりませんが、

 

もともと「病気体質」だったけれど、「先に書いたような方法で克服した」と書きたかったのです。

 

とくに「太極拳」は効果的でした。

学んだのは「武術の陳家太極拳老架式」という「太極拳」で、武術としても、身体調整としてもすぐれていると思います。

 

けれどすべてにおいて「仏教の原則」に腹を据えて「無常無我」だと「常に観察」していると、「怖いものはない」のではなく「怖い」という概念がなくなります。

 

だから「しんどい状態がある」けれど「解決方法は幾つもある」し、「死ぬときは死ぬ」と「智慧」に腹が据わって、「周囲にもそのように共通認識」してもらう「慈悲」を生きたら、とにかく「パニックも不安もなくなり」ます。

 

これも「自然のまま」書いているので、なんでこんなことを書いているか。

もはや「理由」すら問うこともなくなっています。。

 

ーーー

 

痛い時、痒いとき、なんか体調が良くないときには、

以下の方法をお勧めします。

 

1、ちょっとリラックスして、「目を閉じます」

2、痛いところの「細胞さん」をイメージします。

3、そしてその細胞さんに「どうしたの?」と尋ねます。

4、細胞さんの思いを聞いてあげます。

5、そして「その細胞さんの思いを解決する」ように努力するね!

という姿勢と「あなたがいてくれてありがとう」って最後にいいます。

 

これで「細胞さん」を助ける「ホルモンさん」が出ます。

「ホルモンさん」にもお礼を言いましょう。

 

これで、状態は改善します。

もちろん「細胞さん」が「素直じゃないとき」には、細胞さんが納得するまで聞いてあげて、お礼を言いましょう。

 

チョー真面目な話しです❗️

 

以上

2020-02-25 04:16:00

辛子色のアルバム❣️

ホンダのロードパルという「原チャ」を思い出した。

ゼンマイでエンジンをかける画期的な原チャで、

「ラッタッタのロードパル」というCMで時代を席巻した。

 

わたしの時代は、高校生でも16歳で原チャ免許を取って乗ることができた。

 

わたしは「花屋」でバイトして「ロードパル」を買った。

「忘れたくない思い出」のひとつだ。

 

「花屋」も知り合いのおっちゃんがやっていた。

わたしと友人を可愛がってくれたおっちゃんだった。

 

「お花の値段が分からないとき、自由につけてもいいよ!」

「これで昼メシ買いな!」って結構いい加減だったけど、

 

「重たい過去を背負っている優しさ」のあるひとだった。

いま鳥取に帰ると一緒にバイトしてた友人は、

「アキオは都会ズレしている」という。

 

人生の大半を関西で過ごして、たしかに「あの頃」を忘れかけていた。

わたしたちの世代は「青春」というキーワードで語られる世代である。

 

思いっきり「楽しくて、わかり合う喧嘩もして、夢を語って」という思い出が「心のなかに残って」いる。

 

今日同世代のひとと「ロードパル」の話しで盛り上がって、

あの頃を語っていた。

 

「忘れたくない出来事、忘れたくない友だち」を思い返していた。

 

わたしは、「5年ぐらいしたら鳥取に帰る」と友だちに言ったまま、

結果「38年」も帰っていない。

 

たまに帰ると「メイン通りの商店街」もシャッター通りになっている。

いまも「しゃんしゃん祭り」はあるのだろうか。。

 

「おっちゃん」になった友だちも、話しが合わなくて「心の距離を感じて」バカな自分がさらに「バカ」に思える。

 

けれど、あの時の「思い出は記憶から離れない」ままである。

故郷は「都会ズレ」したわたしを「あの頃」に呼び戻してくれる。

 

鳥取市の「学校の生徒たち」は今なお「黒髪」で、表情が純粋で、

人間性は、あの頃のままなのだ。

 

鳥取駅にいる生徒を見て、「この中学生のようなあの頃『初恋』をしてたなぁ。。」なんて「淡い恋心とそのひと」を思い出す。

 

「辛子色のアルバム」である。

意外にもわたしは「バラード」が好きなのは、「あの頃の純な気持ちを忘れたくない」からかもしれない。

 

「ふれあい」という歌もあった。

バラードというより「フォークソング」と言われた時代である。

 

しかし「バラード」なのだ。

わたしは「僧侶」という道を生きてきたので、

「お盆や正月」に帰省できなかった。

だから「同窓会」を知らない。

だから「多くの友だち」に、それ以降は会っていない。

 

いままで帰省するときは「家族や親族」に会うことが第一優先だったから、

むかしの友だちと「飲むこと」さえもほとんどなかった。

 

住んでいた家ももうない。

わたしの原風景は、友だちと「バカをやりまくった」自然の山と川と海、そして、、

「原チャ」で飛ばしていた「砂丘」だった。

 

山に入って遊び、山の中に「秘密基地」を作り、

山から流れ落ちる自然の水を飲む。

 

川で「魚」を釣る。

砂丘の砂浜で暴れて「海で泳ぐ」という恵まれた環境だった!

 

もう一度あの頃に戻ってみたい。

なんて「感傷的」ではないけれど、、

今日の原チャの話から「あのバカ丸出しの思い出」に浸った。

 

いまでも「バカ丸出し」の生き方を選んで「遊牧民」のような生活をしている。

「いつか、俺たちも青春を、むかし話にする日が来る。。」

 

そんな歌詞の通りである。

まさか本当に「そんな日が来るとは思ってもいなかった」けれど、

今日はむかし話を語り合った。

 

見た目は「都会ズレ」かもしれないけれど「魂」は「あの頃のまま」だと思っている。

「俺たちの旅」の旅のような「スピリッツ」である。

そう思う「バカなやつ」がわたしである。

 

「帰ろうかなぁ」鳥取に。。

 

 

ロードパル→https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1976roadpal/page06.html

2020-02-24 23:32:00

こんな単純なことが多いです❗️

質問 山の上に「大きな石」があって、山の麓(ふもと)に下ろしてください。

 

と言われました。

あなたはどうやって「この石」を麓まで動かしますか?

(以下に回答あり)

 

Question!    There is a" big stone "on the mountain.  You want to move this stone down the mountain.  what to do?

 

問題! 山上有“大石頭”。 我想把這塊石頭下山。 你做什麼?

 

ーーー

 

「手で持って降りる」「リュックに入れる」などいろいろあるでしょう!

なぜなら「石の大きさ」が定義されていないからです。

人は、こういうマジックにかかりがちです。

ご注意くださいませ❣️

 

Please get off by hand.  Please enter the backpack.  There are various.

There is this magic in the world.  Be careful.

 

用手下車。 上背包。 依此類推。

世界上有這種魔力。 小心一點。

2020-02-24 21:31:00

Buddhaの目覚め‼️

仏陀が「目覚めた法」は、仏陀が生まれとから「ある法」ではない。

普遍で不変な「法則」です。

仏陀は、これを自己の発見したものとは言わなかったのです。

 

ただ、過去の求道者や正覚者たち多くがたどった古道を、再見したに過ぎないと語りました。

 

こういう真理は、われひとりの思考によるものとは言わなかったのです。

 

そして古い経典は次のような話を伝えています。

 

「正覚を成就して」言い換えると、「悟りを得て」まだ間もない仏陀は菩提樹の下にとどまっていましたが、ある思いが思い浮かびました。

 

それは「悟りを得た」とはいえ、実は、三十五歳の仏陀には、未だひとりで公の高所に立つ自信が確立していたわけではなかったようです。

 

「尊敬し師事できる、沙門かバラモンがいれば、安心である」

 

仏陀は、誰か、同じ思想(悟り)を抱くものがあれば相依って行きたいと、いろいろと思いをめぐらしましたが、師事するような者は居ないと思っていたのです。

 

しかし、仏陀はひらめきを得ました。

 

「私は、法によって悟り得たのだから、この法こそ私が師事し、尊敬し、敬重すべきものである」ということだったのです。

 

これを後に仏陀は「法に依りて人に依らず」と説くようになったと文献にあるようです。

 

ーーー

 

Buddha's "law of wisdom obtained from meditation" is not a "rule" that no one knows unless the Buddha is born.

 It is a universal and immutable “rule”.

 The The Buddha The did not say this was his discovery.

 

 But he said he knew only the same way and the same rules as past seekers and perceivers.

 

 I did not say that these truths were our own.

 

 And the old scripture tells the following story:

 

 Immediately after waking up to the laws of truth, the Buddha stayed under a tan tree.

 

Despite being “enlightened,” the 35-year-old Buddha was still not confident to lead publicly.

 

 "If you have a Shamon or Brahmin that you can respect and study, you can feel safe."

 

 Dd In many respects, Buddha dd wanted to go anything if he knew the truth, but nobody thought he would study.

 

 But the Buddha was inspired.

 

 "I am awakened to the law of wisdom, and this is what I should study, respect and respect."

 

 According to the literature, the Buddha later began to preach this as "depending on the rules of wisdom rather than people."

 

(Rules mean the laws of nature and their wisdom.)

 

ーーー

 

佛陀的“靜心智慧法則”不是除非佛陀出生就沒有人知道的“法則”。

 這是一個普遍而持續的“規則”。

 佛陀沒有說這是他的發現。

 

 但是他說,他只知道與過去尋求者和感知者相同的方法和相同的規則。

 

 我們並不是說這些真理是我們自己的。

 

 舊聖經講述了以下故事:

 

 直後剛醒來的真理定律之後,佛陀就呆在棕褐色的樹下。

 

 儘管有啟蒙運動,但現年35歲的佛陀還沒有信心公開領導。

 

 “如果您有值得尊敬和學習的Chamon或Brahmin,您會感到安全。”

 

 如果佛陀知道真相,他會以多種方式想要任何東西,但是沒有人期望他學習。

 

 但是佛陀受到了啟發。

 

 “我被智慧律法所喚醒,這就是我應該學習,尊重和尊重的東西。”

 

 根據文獻記載,佛陀後來開始宣揚“它依靠智慧法則”而不是人類。