インフォメーション(日々更新中)

2021-03-31 04:36:00

お金を見切る‼️

あなたが成すべきことに、1億円いりますか?

すべきことに見合う分のお金から、はじめていくことです😁

2021-03-25 22:45:00

大きな電磁波の集合体‼️

人間は「電磁波の集合体」と「通電性」を保つ「H2O」の塊だといえる。

思考も心臓も人体も電磁波で制御されている量子のシステムだとすると、、

「いのち」は、置かれた場所でいかに「よく機能するか」ということであり、

「死」は、その電磁波の状態に応じて「向かう」次の電磁場だといえる。

 

そういう点で「いまここでなにをすべきか」という思考のもとに動くことが「人間のいのち」であると、多くの宗教や哲学は教えてきたといえる。

 

そして、いのちの次の磁場がどんな状態なのかは、「ダークマター」に答えがあるのかもしれない。

 

そういう意味で「死」を「無くなった」のではなく、より「高次元の電磁場」に移るという理解をすれば、、

より高次元の「データ」の場がダークマターだといえる。

 

こういう観点で見ると「人間と宇宙の関係性」が理解できる。

 

良きあり方を生きたいのちが向かうのは、より高次元の「データ」の場だといえる。

もちろん「今より低次元」といういのちもあるかもしれない。

だから「死者は存在する」と念じるなどの中において、

高次元のデータに触れることができるのだろう。

 

たとえば「親鸞さん」のいのちを念じることで、より高次元のデータを得ることができるのだろう。

 

だから先人を「無意味に敬う」よりも、「こういう時、親鸞さんはどう考えるか」という思いを巡らせることで、

ダークマターの電磁場と繋がり、「ひらめき」という「智慧」が飛んでくる、降りてくるのである。

 

天才(ジーニアス)という人は、こういう電磁場とつながるのがうまいのだろう。

 

また、生きているもの同士でも、よくいう「波長が合わない」というのは、事実波長があっていないのだから、別次元を生きているといえる。

そういう意味では生きているいま、「高次元にいる」と思われる人と思考に積極的に関わることで、同じことが起こりうるといえる。

2021-03-22 20:31:00

真宗を生きるいのちの進みどころ‼️

【浄土真宗のあなたへ】

 

真宗は「無量寿経」を根本とし、「無量の命」について真実真理をストーリーによって説かれました。

 

これが、ストーリーなので、キリスト教のように「仏や神は存在するか」といった現代的問いに流されて、「本質を忘れて捨ててしまいました」が、それをわかっていたのかのように「親鸞さん」は「教行証文類の真実則」にストーリーの根本に流れている、真実真理を明確にされました。

 

しかし、この教行証文類は「仏教をきっちりわかっていない」と難しい書物です。

 

とはいえ「難しさは慣れていないということだ」という言葉があるように、慣れていくように「3年は読み込んでくださる」とだんだん馴染んできます。

 

「無量のいのちの真実真理」をअमितायुस् Amitāyus(アミターユス)といい、、

「その真実真理に目覚める智慧」をअमिताभ、Amitābha(アミターバ)と言います。

 

「南无阿弥陀仏」というひとことはこの二側面をひとつに合わせたものです。

 

「釈迦世尊よ、わたしは一心に、俗世の価値に流されず、この十方に行き渡る智慧の光に帰依して、ほんとうの真実真理の次元に日々の生命が刹那刹那に進み向かう道を歩みます」

 

これが「真宗行者」「真宗信者」のいのちの置きどころ、進みどころであるということです。

2021-03-22 00:29:00

世界を破壊するもの‼️

それは「人間そのもの」であり、「誰か?」ではない。

歴史を見ても「争いの歴史が人間の歴史」といってもいいほどである。

「子どもの喧嘩」から「家庭内の不和」からなにから、

いい大人までもが「子どもの喧嘩」をやっている。

政治の議論を聞いていても、同じレベルである。

「大人になる」というのは、子ども時代の自分を顧みて、それらから成長すること。

つまり歴史を学ぶことも「歴史から学んで過ちを繰り返さないこと」であるのと同じである。

「仏になることも、神の愛に生きることも」人間が「人間以上のもの」に成長することである。

そういう根本を見捨てているから、いつまでも人間は幸せになれない。