インフォメーション(日々更新中)

2020-07-29 02:34:00

出門せよ❣️

いままでは「関係の深いひと(親友など)」にしか知らせていませんが、

「世界の宗教などに共通項があり、そこを知ることで、ほんとうに光明が観える(観察)できる」ようになります。

 

それは、真宗の布教の場では語ることはできませんが、「枠にこだわらず」いろいろな精神世界を学ぶことで、次元が変わって見えてくる事実です。

 

一般的にいわれる「怪しい教え」でもなんでもなく、コペルニクスやニュートンなどの多くの数学者や物理学者もその学びによる世界観を通して「数理や物理を発見した」というような、

 

なぜ「人間がある時突然すごい発見や発明をするのか」といったことに共通する原理です。

 

わたしも「教行証文類」から「出門」を学び、いろいろ学んだり実行するなかで知ることができた「精神界」です。

 

そういうところからすると「真宗のセクトだけではわからないこと」が明確になっていくことがわかります。

 

狭い世界で「勧学だの、教授だの」といったところからは見えない次元です。

 

みなさんも一度そういう学習に目を向けられると、人間界の精神的成長に寄与できると思います。

2020-07-28 17:36:00

わたしは「怪しいのかなぁ😁」

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みなさんにもこんなん来てますか😅

2020-07-27 05:31:00

現代でも創作物語の方が受けるのは何故ですか?

仏教にあるようなストーリーは、ほぼ創作ストーリーといえますが、そこには「論」を内在させています。

また、歴史学であろうと歴史小説であろうと、「研究者」や「作家」の意図やイメージが作り上げたものなので、

これらもすべて「創作」といえるでしょう。

「エジソン」はこんな人だった。。「ヒトラー」はこんなひとだった。。

といっていたとしても、今や「エジソン」はパクリ王と評されていますし、反バチカンや反ユダヤのひとは「ヒトラー」をそんなに悪く言いません。

そういう意味で「すべてが創作ストーリー」といえますし、そのストーリーに内在している「論」や「意図」がどうなのかということが重要なので、

「論や意図」に絞って話しをすると「わからない」という人が多いものです。

ですから未だに、仏教でも、「親鸞の生涯とか阿弥陀さまの救い」という方がわかりやすいという人が多いのです。

しかしあくまでも「論や意図」こそが重要です。

2020-07-27 04:30:00

初心者が「初期仏教、部派仏教から大乗仏教まで」を体系的に学ばれる本を教えてください。

この問いは、非常に難しい問いですね。。

この問いのなかの「部派仏教」についてを含めている本はなかなかないんです。

しかも興味本位ではなく教義をしっかり学ばれたいようなので、いい加減なものをご紹介するのもどうかと思います。

部派仏教について、わたしのホムペで言及している内容を添付してみます。

ーーーーー(各項目の数字は気にしないでください)

「説一切有部について」

127、有はあるか?

説一切有部の論を「倶舎論」として、世親は「存在について五位七十五法」は有であると論じた。

しかし、龍樹は「我も法も空」であるとした。

そして存在は「仮和合」と論じたが、「和合する元になる」当時でいう「五大」は存在するのか?

五大も空であるなら、すべての存在を説明できない。

なんらかの有があって「存在」は成り立つ。

龍樹は、すべて「空」であるが故に、空もまた空であるから「空亦復空」と論じているが、

「空」も「亦復空」ならば、「亦復空」を成り立たせるなんらかの「有」がなければ、

「仮和合」すら起こりえない。

そこで、世親は「唯識を論じて」、「五位百法」の有を論じて、それは「阿頼耶識」に薫習される「種子」だとした。

これは量子論でいうところの「量子」であり「元素(原子)」であるといえよう。

また、「一般相対性理論」の「光の速度とそれ以外の速度」において観測される時間のスピードは異なるけれど、相対すると「同じ」と観測されるけれど、事実は「次元が異なっている」、つまりすべてのひとや存在は、まったく違う次元を生きているのに、同じであると錯覚しているということと変わりがない。

あなたがなにをどう認識しようと、それはすべて「あなたの認識」でしかなく、他の人は「まったく違う次元にいる」ということがわかっていないということを意味する。

そういうことを「唯識論」はいっている。

こういう論が「人間として生きていくうえでの世界観」そのものであるから、Aが感じている世界はすべてAの「世界観」でしかない。

昨日までに少しお知らせに書いたことは、Aの世界観のなかで起こっている「状態」でしかない。

だから、お知らせは、AがAに向けて「知らせたこと」でしかない。

こういう「仏教の論」は「真理であり」、「物理学も真理」であると言える。

Aの認識の中の皆さんはどういう「認識」を生きているのだろうか。

126、量子は有るか?

中観派の「空」でいえば、「すべてが空」なので、仏教でいう「五大」(現代でいう量子)さえも「空」であって、それの「仮和合」したものが「存在」だというけれど、ならば「仮和合」の元になる(量子)も空であるなら、「存在の本質はなんなのか?

そこで「アビダルマ仏教(部派仏教)の犢子部」が言っている「プトガラ」だとすると、これは、「我」としての実体と変わらない。

そこで世親が「倶舎論」で「無表業」といっても「あいまい」なので、

結果「唯識論」を説くことになる。

諸法が空なら、「なにも存在し得ない」「五位七十五法ないし五位百法」は「法有」として「有」と言わなければ「存在自体がありえない」。

しかし「無我、空」を認めるなら、「阿頼耶識」という「識」のみが存在して、「法を認識の上から」存在として「認める」ということを論じたのです。

部派仏教の有部の時点では「世親」も、「我は空で有るが、法は実在」という「我空法有」を主張しなければならなかった理由である。

125、輪廻をDNAにたとえるなら。。

輪廻の主体「なにが輪廻しているのか」ということは、さまざまに議論されていますが、

とにかく「この人間種」を相続させている「なにか」があるのかないのか?

これを「アビダルマ仏教」(法の考察をする部派仏教)では、「命根」っていいますけど、

現代的にこれをDNAとした場合にも、人間種が生まれて700万年(1世代30年とするなら)

23万世代交代していて、両親の両親って計算すると「莫大な先祖の命根を受け継いでいる」と考えられるうえ、人間種の中にあるプログラムやデータは膨大な量であると言えます。

このデータやプログラムを「どう生きて」「DNA」の枠から解脱するのかっていう観点から見れば、

輪廻がいいたいことはそういうことであると考えるほうが「仏教」として「意味がある」論になります。

ーーーーー浄土真宗西念寺別院ユニバーサルカレッジ

以上のように現代の人にわかりやすく書いているつもりですが、これが難しいということですと、まずは「初期仏教」と「大乗仏教の空と唯識」を学ばれると良いと思います。

そして「初期仏教」は「中村元」氏、大乗仏教はいろいろありまますが「高崎直道」氏のものが良いでしょう。

なかなか本屋さんにもきっちりとした仏教書がない時代なので、ネットでは中身が分かりませんから、できれば、京都の「法蔵館」や「永田文昌堂」さんにお尋ねになると良いと思います。

2020-07-27 02:22:00

サイキック‼️

この1週間の間に、あなたに「これは」、、

と思う変化をもたらすような出来事があったはずです。。

 

「う〜ん」と考えているあなたは「何かあったけれど、潜在意識に入り込んでしまった記憶を探している」ということなので、、

「なにかがあります」

 

わたしがこのことを指摘するケースで、「無い人」は、即「無いです」というものです。。

 

いま「潜在意識を探しているあなたには、何かがあったはずです。。」

 

ーーーーー

 

なんていうと、大概の場合「あっ、そういえば。。」と話しを始めます。

そこでその話しから「それはあなたにとって亡くなったご両親が、なにかを教えたい」ということではないでしょうか。。

生前のご両親のことばにヒントがありそうです!

 

 

といった「その話しから推察出来る解釈」を与えれば、「そうです!」「スゴイ、なんでわかるんですか⁇」

 

といった展開になります。

 

こういうのを「サイキック」や「占い」で使われる「コールドリーディング」といいます。

 

ご参考まで。。