インフォメーション(日々更新中)
2019-09-22 19:47:00
原子と因果同時❗️
因果同時っていうのは、物理学的に、原子という1(イチ)に、陽子(+)と電子(–)と中性子が構成しているという、二極が同時にあるのに似ています。
+と–は二ではなくて、「イチ」が包含する「多」を意味しています。
磁石のN極とS極も同じで、「イチ」に包含されるのです。
つまり、どちらが欠けても成り立たない。
華厳経の「一即一切」「一切即一」と同じです。
人間は「それらの根源がイチであり、多に広がっていること」をなかなか理解しようとしませんが、真如が一如であるということに帰結します‼️
2019-09-22 17:42:00
五念門五果門因果同時の深み❣️
五念門のひとつひとつが、五果門のひとつひとつに対応して、
礼拝→近門
讃嘆→大会衆門
作願→宅門
観察→屋門
回向発願→薗林遊戯地門
となっているのが、この因果が同時に起こっていることを証明していると実感しています。
そして「入出二門」なのは、五念門五果門の「ラスト」の薗林遊戯地門で「遊煩悩林現神通」となることをいっていると思われますが、
「五念門と五果門」を対象した時に、礼拝→近門からスタートし、「如来の家や部屋」において「大会衆とともにこれらを生きること」
そして「薗林遊戯地門」において「如来の家に入ること」と「如来の家から《さとりのもの》として「遊煩悩林現神通」(出)することが「因果同時」であり、
「阿弥陀の法を歩む」「法蔵菩薩の菩薩道を歩む」ことが「五念門五果門を因果同時」に歩むことだということを「実感して」います。
やはり「入門」して、「セクトにこだわって歩む」のではなく、「出門」して「他利利他」を歩むことが「同時にあれば」常に「菩薩道を歩む」ことと「自己を通して広く深い(高い)次元のなかで、自然に教化が行われていること」を実感します。(自利ではなく他利)
「阿弥陀の法の広大無辺」という実感がここにあります。