インフォメーション(日々更新中)
2020-09-24 00:58:00
現代の若い世代❣️
最近若い人(20歳から50歳まで)と話していて、
それぞれが「いろんな考え方で自分たちの世界観」をもっていると感じています。
それらの話を聞いていて、もはや「仏教」は必要なのかどうかと考えてしまいました。
それ以上に「現実的で実行可能なそれぞれの世界観」でした。
もちろん、どうしていいかわからない人もいますが、なにもいわなくても、
いざとなったら、これでいいんです。
と、ある意味「さとって」います。
わたしは、もはや「さとる」ことについて、各々の仕方があって、
こうでなければならないということはないんだなぁと思いました。
わたしたちは「こうしたほうがいい」という観点ではなく、
どう思っていて、どうしたいのかということを聞いて、アドバイスをするほどでいい。。
と思いました。
高齢になる程、若い人を「危なっかしい」と思うものですが、
意外と資本主義から離脱していっていて、
メディアを見ることもなく、とはいえ「親や高齢者」が案じなくても、
ネットの多くの情報から「意外にも適切な情報」を選んでいます。
ゲームをしていても、それが原因で殺人に走るといったことはない。。
キッチリ「リアルとバーチャル」を理解しているのです。
いままで時代の変遷がものすごいスピードで変化しながらも、
人間は「穏健派」が増えて、争うよりも諦めるというひとが増えています。
ここでいう「諦める」は、いい意味で「必要ではない」という適切な判断です。
いまやビジネスでは、マーケティングという売れるシステム開発を重要なことのようにいわれますが、
そもそも「マーケティング戦略」をしてまで売ろうとするものは「不要なもの」なのです。
かしこい若者は「そんなもんいらへんやん」といって、マーケティングに乗りません。
世の中を知っているのです。
それよりも「サプリ」に走るのは、高齢者で、「効果があるかどうかわからないもの」をやたら買い込みます。
お金のある世代ですから「まったくマーケティング戦略」に乗っかって、定期配送でサプリを次々と買い込んで、
毎月何万円しているのかわからないほど買い込んでいます。
かしこい若者は、そんなコマーシャルなんか信じません。
思想がないのかといえばそうでもなく、各々独特の思想を持っています。
生や死についても、さまざまに「サラッとこう思っている」と言います。
今後僧侶はそういうかしこい若者に「聞かせてもらう」という姿勢があれば、
さらにバージョンアップできるんだろうなぁと思っています。
2020-09-23 04:04:00
日本人の嫉妬について【引用】
日本人の気質とアメリカ
例えばアメリカに行くと、嫉妬とかなくて、すごいものはすごいと賞賛されます。
私が中学校のときに、絵のコンクールと面接で選ばれてNASA子供特別親善団に入って、アメリカに行ったら、行く先々ですごいな、頑張れと言われ、飛行機ではノリノリの機長から、今日は皆さんに日本からの素晴らしいゲストが来ています、みたいなアナウンスがあり、乗客はノリノリで拍手するし、すっかりいい気持ちになって日本に帰りました。
※少し単純化してますが、アメリカ人、あるいはアメリカ合衆国はやっぱり偉大です。
帰国すると異変があって、まず中学校の校長から勝手なことするな、他の生徒には黙ってろと言われ、渡米の様子がテレビ番組で放送されると、延々といじめというかいじりの対象になりました。体格はデカく勉強もできたのですが、猿どもから延々としつこくいじられました。
家族もやっかみであれこれ言われて基本嫌な思い出しか残っていません。
まぁそんなことがあると、嫉妬深い日本人嫌いですって言いたくなる訳ですよ。アメリカ人の余裕や明るさ、優れたものへの素直な憧れみたいなものが結構好きになります。
それはそうとして、日本の田園風景とか、味噌汁とか、新幹線とか、田舎のヤンキーとか、その辺はなんか私にはしっくり来る訳で、日本の文化や日本人は嫌いにはなれません。あとはナショナルブランドのビールのうまさとか。
最大なのは健康保険制度と治安のよさですな。何があっても生きていけるって言うか。
日本人は誰でも肺がんにオブジーボが処方されるし、大体のガンの治療は保険でカバーされる。※米国だとかなりの勝ち組でも、まとまった資産がなければ、夫婦でガン闘病するとなかなか困難な状態になると思う。そのリスクはそれなりに高い。
治安は先進国では一番いい。セキュリティはとても大事だ。死んだらもう生きられないからね、と言うと、相手が何人でも日本はとても良い国だと言わせることができます。
日本を嫌いだと言う心理は良くわかりますが、まぁいいところもたくさんありますよ。
2020-09-23 03:46:00
障がい者さん目線を知りましょう。
障害者本人です。どんな障害かはおいといて、色々と一般の人にお願いがあります。
他の方にも書いている方がいましたが、「横柄で馬鹿にした態度で接しない」。
そんな態度を取る人がいるのか!?と本当に思うでしょうが、いるんです。
ごくわずかな滅多にいない人達、ではないんです。
何でこんなことが起きてしまうか話させて下さい。
見た目なり言動なりで「障害者」であることがまず分かったとします。
すると、その障害がどういったものか、何なのかまったく知識も医学的にも持っていないのに勝手に「こういった障害」と思うんでしょうね。もちろん、間違って勝手に思い込むのです。
例えば実例を出すと、言語障害のある人。=知的障害者だと必ず思われます。
「ああ、、ううう、、えええ、、と、、、」と聞き取れないほどゆっくり、それも文章になっていなかったら、そう思ってしまう人がどうしても多いのです。
これは日本に障害者との共存がないので、知識のないせいなのです。
こういう時は焦らないで
「聞き取れずおっしゃっていることが分からないのですが、筆談は出来ますか?」と言っていいのです。
意思疎通があなたと上手く交わせない人=知的障害だと思わないこと。
とても大事です。
知能はすごく高く、どこかの大学教授かもしれません。私もそのひとりです。
また「幼児を扱う様な対応」になったり「赤ちゃん、幼児、または子供に話す様な話し方」になったりもされます。
また、知的障害があると勝手に判断されているので、例えばブティックで服をたくさん買おうとすると、「この人本当にこんなに買えるのかしら、、、」と思い始めてそれなりの言動が出て来たり、「今日は2つにして、気に入ったらまた来て買ったらどうでしょうか?」なんて言われたり。
あからさまに「ひどい」扱いをするわけではないのです。
でもよくよく考えてみたら、何故知的障害だったら、欲しいだけ買ったらいけないのでしょうか?相手は気を利かせているつもりなのです。
きっと金銭の使い方もよく分かっていないだろうから、バカみたいに買おうとしているから止めないと、と。
これはほんの一例です。
なのでまず、見た目にあなたが判断をする「障害」と、実際の障害は違うと思って下さい。たぶん、ほとんどが大外れであると思います。なので、素人には判断が出来ず分からないと思って、ニュートラルなところから接して下さい。
「こちらの言っていることは分かりますか?」と聞いても失礼ではありません。あなたは一生懸命意思疎通を図ろうと思ってくれているのなら、うなづきます。
ここでうなづかれたら、対応に何も困ることはありません。
次は身体障害です。基本、どんなに不自由に見えても、痛そうに歩いていても、何の助けも要りません。勝手に手とは出さないで下さい。ビックリして転んじゃいます。
ここはこう考えて下さい。
大きな荷物を持ったおばあさんがいます。階段を上ろうとしています。「お荷物持ちましょうか?」と声を掛けますよね。同じことなんです。
私達はただでさえ身体がポンコツなので、大きな荷物なんか持っていたら、そりゃぁ~大変ですよ。エスカレーターでも大変です。荷物を支えるために、自身を支えられなくなったり。
そんな時は「お荷物支えましょうか?」なんて言って頂けると嬉しいです。その障害者の方が怖そうな方なら「もしよろしければ、」なんて最初に付けたらいいかもしれません。
私達は正直、外に出る時にとてもナーバスになっている人が多いです。
とても複雑な気持ちで怯えながら歩いているんです。
誰かに指を刺されていないか、笑われていないか、またいじめられないか、今日は具合が悪くならないで1日過ごせるか、誰にも迷惑を掛けないか、もうその気持ちはここに書ききれません。
障害者の人の中には、助けられることに腹を立てる人もいるかもしれません。もししういう人にあったら運が悪かっただけで、滅多にいる人ではありません。
私達の多くはやはり「助け」を必要としており、一言何か言葉を掛けて頂けたら非常に助かる場合が多いです。
自分からは言えません。通りすがりの人をつかまえて「私にはこういう障害があって、今、こういう風に困っているなので、、」なんてそうそう言えないし、そんな場面見たことないですよね。
怖くて言えないんですよ。多くの人が。頑張れば何とかなるんだから、ひとりで頑張っちゃおう。滅多に外に出るわけじゃないんだから。って頑張っちゃうんです。
でも、もし世の中の人がみんな助けてくれたら、滅多に出来ない外出も、いつでも出来るようになります。そんな日本になったらどんなにいいでしょうか。
「これだけはするな」は、勝手に相手の障害の種類を決めつけない。どうせ外れていますから。
階段とか坂とか、大きな荷物を持っているとか、目につく時はすぐに声を掛けて下さい。「声を掛けないなんてことだけはしないで下さい」
この2つです。
追記です。見た目では障害があるかないかは分からないことも多いと思います。町で見かけた「もしかしたら困っているかもしれない」人には、障害のあるなしに関わらず声を掛けて頂けたら嬉しいな、と思います。
2020-09-23 03:03:00
いまを摂取して過去を捨てる‼️
「過去は済んだこと」を「よかったこと」に転じる「悪を転じて徳となす」という親鸞さんや鎌倉仏教以降の「転じる」という手法は、ひょっとしたら「ごまかし」になるのかも知れませんね。
「過去を切る」ということがもたらす「新しいこと」の方がいいのかも知れません。
そして「ムリに生きようとせず、死という楽が来ること」をゆったりと待って生きる。
これは、「大乗仏教から初期仏教への回帰」とえいえるように思います。
そういう意味で、「ガンを生きて、日々昨日という苦悩の過去を切りつつ、治すのでも治さないのでもなく、死という楽を待つ」ということなのかも知れません。
2020-09-21 03:45:00
先は明るい☀️
「あなたのチカラも影響力も小さくていい」
わたしなんか「アンチ」が多いけれど、それは理解されていないということでしかないと思っているので、アンチのひとも大事に思って、、
「パクっていただいてもいい」という前提でいろんな投稿をしている。
とくに個人的な目的みたいなものはない。
「一隅すら照らせない」と思うこともあるけれど、
この「いのち」を最大限に可能な範囲で「良きこと」と思うことに向かっていのちを運び、、
自分にウソをつかないように、ストレートに「いのち」を運んでいる。
わたしは、最近になって、世界は良き方向に進む予感がしている。
ウラ(アングラ)の世界でも、「穏健派」が増えている。
中高生でも「ちゃんと真実に対峙して生きようとしている」多くのいのちがある。
20代でも「けっこう地味にかしこく」生きて、「厳しい世代を生きている自覚」のもと「贅沢など考えず」家庭や仕事を大事にしているひとが多いように思う。
昔のように、異性に溺れるひとも減ったので、風俗産業は低迷している。
それよりも「LGBTQ」などのひとの苦労も真剣である。
そういう意味で「異性には興味がない」ひとも増えて、、
仕事でもプライベートでも「男女の友情やパートナーシップ」も平気で成り立つ。
もはや「不倫だの浮気だのという尺度」では計れない時代なのである。
そんな面倒なこと以上に「やるべきことや、やりたいこと」があるという若者も多い。。
一軒に「男女関わらずシェアしている」なんて意外にある。
問題なのは「70代以上のひと」だと最近は思っている。
もちろんその世代すべてではないけれど、
こういった、むちゃくちゃに見える、時代の進歩を理解できず、
若い人を「むかしの枠にはめようとする」から、
若い人と軋轢を起こす。
そういう世代が70代以上のひとだといえる。
このままいったら「日本がアメリカになる」ということに、
なぜ慌てるのか、日本に固執する意味が今後あるのか。。
「アメリカでもいいやんか」という冷静な態度をもつ若い子は多い。
「愛国心」になんの意味があるのかというのは、70代以上のひとや日本人を見ていて、「イジメだのなんだのとあって、社会でも型にはめようとする」いまは中高生より「大人の陰湿なイジメ」の方が多いぐらいである。
「ひとを大事にする先人がいない日本」の「なにを愛せ」というのか。。
そう思っているひとは多い。。
「あなたはあなたを表現したらいい」
生き方に「GODやBuddha」の「個性」を恵まれたいのちなのだから。
貧しくとも「精神が貧しくなければ、いのちを時代に乗せて運べるだろう」から。。
枠にとらわれる必要もない。
「自閉症」の子を授かって、「この子に色々と教えてもらっています」
この子は「宇宙からのプレゼントです」といって、、
障がいと言われる「いのち」に学んでいる若い親も増えている。
障がいは「大変だ、ダメないのちだ」なんて、もはや古典である。
明確に見えなくても、徐々に「いのちは時代にあわせて進化している」のである。
そういう傾向になってきていることを、最近はとくに感じている!

