インフォメーション(日々更新中)

2020-02-03 04:10:00

阿弥陀如来の世界観‼️

仏教の基本と究極は「常一主宰」も「個我」もない「無我論」である。

 

「常に一つのものが主になって動かす」という「神」のような存在もなく、「我」や「我の所有」ということもない。

 

考え方においても、これが「正義」というのは、「ひとりひとり違う」ので、「互いの意見や立場を尊重すること」が「無我なる生き方」といえる。

 

どのようなり方でも「尊重」するのが「真理」であり、「一切を摂取不捨」するという「阿弥陀如来の世界観」である。

 

ここでポイントになるのは「摂取不捨の世界観や人格のありようが、無我の世界観」ということであって、「阿弥陀如来の実存」ではない。

 

「阿弥陀如来」という「月を指す指」の先にあるのが「無我」である。

 

人間は「名称と形態」にこだわる。(名色)

 

これを超える「無我の法」が阿弥陀如来である。

 

だから人間などを「無我」とする「人無我」と「法も無我」という「諸法が無我」《法無我》と説かれる以上、「阿弥陀如来」も「無我」でなければ「仏教が説く真理ではない」から、、

 

浄土も「無我であり、無常である必要」がある。

 

浄土という「器世間」も、浄土の「人天」や「菩薩や仏」という「衆生世間」も「無我」である。

 

自己も全ても「その思いや思考も無我」であるから「摂取不捨」が成り立つのである。

 

法話において「阿弥陀如来」も「法無我前提」で語られなければ「真理」ではあり得ない。

 

あくまでも「世界観」なのである。

そこに「指で指し示した《月》」が見える。。

2020-02-02 22:36:00

あなたが赤道近くにいたら。。‼️

1時間に1600キロ、

1分に26,6666667キロ

1秒に444....メートル

 

あなたが赤道近くにいたら、

地球はこんなに早いスピードで自転しているんです‼️

2020-02-02 02:37:00

巧みな話法‼️

「わたしの妻は重病だったけれど、適切な医師に出会って治癒しました」「このように適切な診断をしてくれるのが阿弥陀如来です」

 

ーーー

 

たとえば「こう言った話し」があるとする。

 

聞いたひとは、「奥さんは重病だったんだ」という「情」を感じつつ、

「阿弥陀如来」への「情的理解をする」。。

 

じつは、「この妻の病気」という文言を「あるひとが重病で」というと「同情」を得ることはない。

 

こういった「巧みな話法」に「洗脳されている」ことに気づくひとは少ない。

 

そして「妻である必要がない話し」と「妻の病気見立て」と「阿弥陀如来」とは論理的整合性はない。

 

なぜなら「阿弥陀如来」をこの「情的理解」のみでは、ほんとうの意味で知ることにはならないからである。

 

「阿弥陀如来」の論理的根源を「布教者は語っていない」からである。

 

昨今こういう話法を用いて「ファンを増やし、収入を増やし、名を売る」ニセモノが、布教現場に増えていることに、嘆きを覚える。。

2020-01-31 04:26:00

こころは開かない❗️

アドバイスを素直に聞けないひとがいる。

 

当然である。

 

みな多くの心の闇をもっている。

 

「心の闇」というと「あいまい」であるが、

「解決されない欲求」「解決されない課題」というといいかもしれない。

 

それを「劣等」と定義する必要もないし、ダメなことと思う必要もない。

 

「心は開かない」「開けない」

なにが「解決されないこと」なのか、自分でもわかっていないからである。

 

「解決されていないこと」が「どのように自分の心に影響を与えているか?」

 

そこを「見たくない」「知りたくない」という意識がはたらいていると、

「結局闇をさまよう」

 

けれどさまようことに慣れると「さまようこと」に居心地を感じて、

じつは「スピリチュアル(精神世界)」がどんどん狭い辺境に落ち込んでいく。

 

これを「辺地懈慢界」という。

高く広いはずの「次元」の底辺の片隅に居座ってしまう。

 

「浄土」にいながら、「地獄」に居心地を見出して、

「自我の中」で「幼児退行」しながら老いて行く。。

 

いい大人が「スネル」といった退行状態は、よく見かけるけれど、

そのまま老いていくことはいかがなものだろうか?

 

人間は、そもそも高く広い次元にいることを、仏陀(Buddha)は教えている‼️

2020-01-31 03:09:00

武漢とウイルス‼️

ウイルスは「寄生しなければ生きられない」

細菌は「単独で生きる」

だから「ウイルスは飛沫感染」である。

 

あなたの周りに「中国の武漢」からの帰国者や来訪者は居るだろうか?

 

気流には特徴がある。

ほぼ「武漢」の空気は日本には来ない。

 

あれは「陰謀か?」という人がいる。

「陰謀ならもっと簡単な方法がある」

 

思考すればわかることであるが、

「慌ててマスクを買いに走る」

 

危機感は大事であるが、ポイントを間違ったら、

ほんとうの「危機」がわからなくなる。

 

思考しない「情動」に踊るのはいい加減にしたほうがいいと思う。

「マスク」を売るには格好の話題であろうけれど。。