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2019-08-24 09:37:00

要門と真門‼️

化身土文類に出てくる「観経」を「要門」といい、

「阿弥陀経」を「真門」という。

 

これを、そういうもんだ!

と「鵜呑みにしてきた」のが、真宗学ですが、

本文の流れを通して読めば、

 

五念門の「礼拝、讃嘆、作願、観察、回向発願」と、

                                   ↓                                      ↓

五果門の「近門、大会衆門、宅門、屋門、薗林遊戯地門」

 

と対象としていることがよくわかります。

 

だから、如来の「讃嘆から大会」が集まり「利他」(薗林遊戯地門)の菩薩道として、歩むものになるのが仏教です❣️

 

「讃嘆」のなかで「《諸行を行じていてもいい》ですよ」というところから導き、「念仏」という「カナメ」に「大会」させるための法門が「要門」なんです。

 

という学習をすれば、なぜ「要門」というのかがわかります。

 

また、二十願について、なぜ「真門」なのかということについても、真実のサンスクリット語である「サイティア」は、

 

「実をむすぶ(果実という結果が出る)」という意味があるけれど、自力念仏では、結果「実を結ばない」から「真実の実を抜いて「真門」とされているというスジ(論)がわかれば、鵜呑みにせずとも理解ができます❣️

 

概して「こういう教えは、こういうもんだ」という権威的な教え方が多いので、学習の仕方という意味においても、疑問を持つ姿勢が、けっこう本質を知る上で重要であるということをお伝えしておきます‼️

2019-08-23 17:32:00

アスペルガー坊主‼️

わたしは本当に「アスペルガー」だと思っている。

仲の良い友人に、「中神さんは社会不適合者」だからとマジいわれたことがある。

 

わたしのようなものは「へん」なのだろう。

 

「幼児期から、親戚のひとたちから、オマエは変わり者だ」といわれてもいた。

 

学校で「英語を教える」からはじめは独学で「中国語を学び」その後マジの中国人から「中国語を学ぶなど」社会に異を唱えてきたのは「事実」である。

 

「勉強ができて成績の良いものを良しとして、成績の悪いものを廃する教育にも異を唱えて」

「高校時代に何人かの先生に意見した」が、とりあってもらえずだった。

 

じゃあって「3年の時には、あえて白紙解答を出して0点を良しとした」時期もあり、おもしろい先生の時は「100点取ったる」といって、挑戦して勝ったり。。

 

このことは、今年高校の先生にたまたま出会って、飲んだ時に言われて思い出したことだけど。。

 

とにかくわたしは「へん」なのかも知れない。。

 

アタマにあることの「出し方がふつうのひととは違う」ともいわれたことがある。

 

アスペルガー坊主は、「所詮、社会から受け入れられない」のか、「マジな仏教の観点からモノを言うから」社会不適合なのか?

 

よくわからなくなっている(≧∀≦)❣️

「社会的には確定アホ」である‼️

2019-08-23 17:31:00

観光と観闇‼️

学校で「授業を親が見にくるとき」は、先生もいいかっこしようとする。

 

そのいい姿しか見ない、これを「観光」という。

普段の先生や生徒の裏側を見ることがあれば「観闇」になるだろう!

 

旅行も「いいところばかり見る」観光ではなく、

その国の裏側を見て、世界各国が補い合い助け合う「観闇」が必要な時代といえるだろう‼️

2019-08-23 17:28:00

世界人口の。。‼️

世界人口77億人のなかで、日本が約1億として、その中の10%が真宗門徒として1000万人。

 

その中の「まともな念仏者」が1000人だとしたら、真宗僧侶門徒の0.0001%になる。

 

これは世界人口のおよそ0.0000001299%である。

(計算は間違いないと思うけど)

この数字を「貴重な数字」と見るか「真宗は世界的に認められているという僧侶の勘違い」と見るか。。

名号がひとりばたらきをしていても、この程度か?

 

日本に訪れる旅行者は、平成30年で3119万人という。

だとすると世界人口の0.0040506494%である。

 

最近いろんなところで「インバウンド」だの、海外旅行者が増えて「日本は人気」だというけれど、

この程度である。

 

世界は、日本にそれほど興味もなく、真宗なんか日本人ですらこの程度なのである。

 

ここ数日、そこでいくら「真宗がすべて」と叫んでみても仕方がないと思っている。。

 

イヤイヤ「数より質」と「一人が信心を取ること」といってみても、「一人」になったら「自分が所属する寺」すら守れないことになる。

 

そういう意味で「わたしのようなものではない」ほんとうに社会的に適応できる「キチンとした布教使」が重要になってくるのだと思う昨今である。

 

ある門徒や僧侶ではないひとが、先月の法話会に参ってくださって、

その方が言った「中神さんの話は、いい意味でグサッと刺さってくる」。。

25日にまた来られる布教使さんは「ジワっと染み込んでくる」と。。

 

わたしに関しては「いい意味で」という部分は不要だと思うが。。

いい布教使さんに会所を引き継いでいこうと思っている❣️

2019-08-23 12:51:00

退き際‼️

そろそろ坊主の辞めどきかもしれない。。

親友から、わたしが坊主を辞めて、キリスト教かなんかにはいって、そこから仏教を語って欲しいという「マジな意見」もある。

これからは坊主の終活整理をしていく段階かと思ってもいる。