インフォメーション(日々更新中)

2019-09-03 21:56:00

なんで世界は自分中心にまわっていないんでしょうか?

「自分中心」と「まわる」を「自分の思うように出来事が動かない」という定義だと仮定して回答いたします。

そしてまず「世界」を「客観的な世の中」と定義してお話を進めます。

ここで、「ありがち」ないろいろな陰謀論を「ほぼ取り合う必要がない」という、「世界最高位」の方からの「アドバイス」でいえば、

まず「権威、権力者」は、「誰かに指図されて動かないひと」が多いので、「意思統一が難しく」誰かやどこかの組織の指示で「あらゆるものごとを動かす」ことすら不可能なのです。

たとえばそういう権威者に「インバウンド(海外旅行者)」の「団体旅行」プランを持って行っても「取り合うことはない」のです。

「団体行動」を避けたがるのからです。

また、現代のように「サイバー」が進んでいる今は「世界の権威者」ではなく、「どこかサイバーに長けた中学生あたり」が世の中を動かす、

なんていうことも可能です!

つまり「世界の誰一人」「自分が思うように出来事を動かすことは不可能」なのです。

とはいえ、見方を180度変えると、「世界は全てあなたやわたしが思うように動かせる」のです。

この時点で「世界」の定義を「あなたが見ている世界」に変えることができるからです。

「世界はあなたが見ている世界」でしか定義できないというのが事実でもあります。

じつは多くの人がこの定義を理解していません。

同じ空間にいて「その空間での出来事をどう認識するか」は、すべて見ている人の「心の中にあって」だれにもわからない上、このことを「自覚していないひと」も「自分がどう認識しているか」わかっていません。

「会社の事務所」にいて、「上司のいうとおりにしか、動けない、動かなければならない」と決めているのは「その人の脳」つまり「認識」なのです。

「上司をどう動かしてやろうか!」と考えると「空間の持つ意味が変わります」から「空間における次元」が変わります。

「パワーバランス」や「周囲の意味づけ」を変えると「現実が自分中心」になります。

「同じことをいったり行動しても嫌われないひと」になればいいのです。

かんたんにいえば「憎まれないキャラ」を身につける。

または「自分の思うことやすることに大義があって筋が通る論」を組み立てられればいいのです。

つまり「受け身(受動的)」に世の中を見ると「動かされている」となり、「積極的に知恵を働かせて(能動的)」に世の中を見れば、

「あなたが中心の世界という次元に変化」します。

すべては「あなたの認識次第」ということを前提として、「知恵を働かせて」生きてみてください。

次元が変化しますから。。

 

2019-09-01 07:21:00

化身土文類が進みます❣️

本講義をご覧ください‼️

なぜ化身土文類が止まっていたか、今後なにを書こうとしているか、

記述しております❣️

2019-09-01 04:41:00

救いとは❣️

「救い」は、「世俗的な救いはあり得ない」という「無常無我、空」の真実を「受け入れられるようになること」で、「慈悲という利他をいのちのあり方として行じるようになる」ことだといえるでしょう❣️

 

そこで、そうなるためにどのような教えや方法が自分にとってフィットして導いてもらえるかという、

「自然のチョイス」が行われるので、「表現は違っても答えは同じ」という「方便から真実へ」の誘導の中で、「方便に固執しない」でそこにある「真実」を見ることができるかどうか。。

 

「月を指す指」を見ないで「月」やもっと「広く深い次元を観る」ことができるかということがポイントだと思います。

 

「ここで救われないから、あちらに行く」(コレはダメだからあっちに行く)という空間(場所)をさまよって生きるのではなく、

 

「どうなろうと変わらない真実の次元を深める、あるいは高めること」によって、さらに「救われない状態に落ち着くことができるようになり《無常》であろうと《無我》に据わりを置けるようになる」こと。。

 

この自然法爾を生きると「現実的にいろんな前向きな出来事」が起こってきます。

 

それを期待することもしないなかで「思いもよらない現実」に出会えるということがあるのです!

 

これが「マジ救い」だと実感しています‼️

2019-09-01 04:27:00

1、2日は「オカンの本葬で」。。その分書いときます❣️

「方便と真実」について。。

 

キリストつまり神の愛を信じて「天国に行き永遠の楽園」で「永遠のいのち」を得る。

仏の大慈悲を信じて「極楽浄土に行き永遠のさとりの身」を得る。

 

同じような構造の中で「真宗は賜りたる信心」だから。。

イエイエ「キリスト教も神の愛が届いたところでの信心」だから。。

 

「仏にはなれるけど、神にはなれないでしょ!」

イエイエ「神が真理そのものだから、仏も神の内なんです!」

とかなんとか。。

 

いずれも「言葉にできないことをあえて言語化」している以上、いずれも方便のストーリーだから「張り合う必要はない」うえ、結果そのストーリーの中で。。

 

「神に任す」「仏に任す」という状態になるのだから、

どっちも事実上「無我」を生きる《真実》《自然》に任すという状態になっているのに。。

 

いずれもが「方便言説」にとらわれると、また「自我」に戻ります。

 

問題は「真実真理」に生きているかどうかであり、どっちが正しいかではないのに、大概の場合「言説方便」に執着してしまう。。

 

結論が同じなら、プロセスはフィットしたものでいい❣️

そこが重要なんだから。。

 

ーーーーー

 

「隠れ念仏」と「隠れキリシタン」

 

室町時代の終わり1555年ぐらいから300年、明治6年ぐらいまで、一部地域で「隠れ念仏」があった。

 

それが、蓮如さんの時代からの「真宗念仏者」と、江戸時代の「隠れキリシタン」と混ざり合った。

 

長野には「隠れ念仏と隠れキリシタンの関係」についての研究があるが、それが明治になって「隠れキリシタン」が真宗に残った。。

 

そもそも1549年あたりには「種子島の鉄砲の伝来」そして「フランシスコザビエルがキリスト教を伝えた」という歴史がある。

 

そういう歴史の流れのなかで「隠れ念仏と隠れキリシタンが混在した」ということは「自然(しぜん)」ともいえるし「あってもしかり」といえる。。

 

それほど「信文類のみに限定した方便」は「蓮如さん」に受け継がれて、「キリスト教とほぼ構造が同じ」なのである!

2019-09-01 00:33:00

カルトが無くならないのはなぜですか?

まずは「人間」が「情動」で動いている「自覚がない」ことが大きな問題です。

現在「情動」は「脳の扁桃体」が司り、「知性、理性」は「脳の前頭葉」が司るといわれています。

この観点から見ると「扁桃体型のひと」が多いのです。

仏教でいう「煩悩」もほぼ「扁桃体による情動」に定義されています。

「腹が立つけど、ガマンして冷静を装う」ような人が多いのです。

ひとは意外と簡単に「情動」で動くので「メディアによる操作」も簡単なのです。

日本や韓国ドラマは「情動」メインで、欧米のドラマは「知性」メインです。

ニュースも同じで、「政治を情動で報じる」ことで「喜んで見る」ひとが多く、「視聴率」が取れます。

しかし「情動報道」で「アレが悪いコレが悪い」といっている間に「国民に都合の悪い法律がどんどん作られていても気づかない」というのが日本人などの「情動国」の特徴です。

そもそも過去「封建社会」で「上のひとのいうことを聞く」「考えない民族」ですから、いまでも「なにかが変わってきていても」気づかない状態です。

そこで、お尋ねの「カルト」は、こういうポイントと一時表現された「マインドコントロール」に長けていますから、「ひとを悪意で動かす」なんて簡単なことです。

「詐欺」と同じなのですから、そういう観点でいえば、「なぜ詐欺はなくならないのでしょう?」というのと同じです。

その「手口」についてダラダラ書く時間もないので、「催眠心理」について学習されることをお勧めいたします。

お尋ねの方やこれを読まれた方々が「詐欺師」にならないことを願って。。